リヒャルト・ワーグナー
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後継者たち

ヴァーグナーの死後、祝祭劇場はコジマ、ついで息子のジークフリート(Siegfried, 1869年 - 1930年)が中心となって運営した。ジークフリートは作曲家としても活動している。ヴァーグナーを好んだヒトラーは晩年のコジマに面会している。1930年にコジマとジークフリートが相次いで死去すると、ジークフリート夫人のヴィニフレート(イギリス出身、1897年 - 1980年)があとを継いだが、彼女はヒトラーと個人的にも親しくし(一時は結婚の噂もあったほどである)、ついに祝祭劇場はナチス政権の国家的庇護を受けることになった。なお長女フリーデリンデ(Friedelinde, 1918年 - 1991年)は母のナチスへの協力を嫌って出奔し、アメリカへ亡命した。

第二次世界大戦の敗戦後、ヴィニフレートはナチスとの協力の責任を問われて祝祭劇場への関与を禁止された。劇場は一時アメリカ軍に接収されたが、長男ヴィーラント(1917年 - 1966年)に返還。1951年フルトヴェングラー指揮の第九バイロイト音楽祭も再開された。ヴィーラントは戦後のバイロイトでの上演の多くを演出し、舞台装置を極端に簡略化し、照明の活用と、わずかな動きに密度の濃い意味を持たせるその演出技法は、巨匠カール・ベーム新即物主義的な名演奏とともに「新バイロイト様式」として高い評価を受けるとともに、ナチス時代との訣別を明確にした。なお、彼の演出にはテオドール・アドルノエルンスト・ブロッホらナチスとは対極的な多くの知識人の支持・支援があった。ヴィーラントの死後は弟のヴォルフガング(Wolfgang, 1919年 - )が兄の姑息たちを完全にバイロイトから追い払い、自分の子孫たちとだけ運営を引き継いでいる。彼はヴィーラント時代から演出にも携わっており、兄の死後も少なからぬ作品の演出も行ってはいるが、ゲッツ・フリードリヒ、パトリス・シェロー、ハリー・クプファー等を筆頭に、外部の演出家による上演に比重が移って今日に至っている。ヴォルフガングはむしろ音楽祭の運営面での実績が顕著であるが、一方でバイロイトの兄方の子孫を無視したり、公的補助をほんの少ししか受け取らないでパトロンの金で多くを運営して人事を決める「私物化」と「商業主義化」への批判があり、優れたヴァーグナー指揮者・歌手・演出家が彼と対立して、音楽祭から身を引く例が少なくない。


楽劇の完成者

ヴァーグナーは、とくに中期以降の作品に於てライトモティーフ (Leitmotiv ) と呼ばれる機能的メロディの手法や無限旋律と呼ばれる構成上の手法を巧みに使用し、それまでの序曲アリア重唱合唱間奏曲がそれぞれ断片として演奏されていた歌劇の様式を、途切れのない一つの音楽作品へと発展させることに成功した。一方、オペラの音楽ばかりでなく、劇作、歌詞大道具歌劇場建築にも携わり、それぞれのセクションが独立して関わってきた歌劇を、ひとつの総合芸術にまとめ上げた。これら作品は、楽劇とも呼ばれ、それはバイロイト劇場という専用舞台の建築運営へとつながってゆく。


人物

哲学者フリードリヒ・ニーチェとの親交があり、ニーチェによるヴァーグナー評論は何篇かあるが、中でも第1作「悲劇の誕生」はヴァーグナーが重要なテーマ課題となっていたことで有名である。後に両者は決裂する。

反ユダヤ主義的な側面も持ち、その思想がのちにナチスに利用されることともなった。現在でもイスラエルではヴァーグナーの作品を自由に演奏することはできない。

人格にはかなり問題があり、自己中心的でわがまま、平気で嘘もついたという。ニーチェはヴァーグナーと決裂した後に、彼について記した自著の中で「彼は人間ではない、病だ」と表現している。トーマス・マンも彼の性格は「いかがわしい」と嫌悪した。

若いときは偽名を使って自分の作品を絶賛する手紙を新聞社に送ったりし、パーティーで出会った貴族や起業家に「貴方に私の楽劇に出資する名誉を与えよう」と手紙を送ったりした(融資ではなく出資である)。これに対し拒否する旨の返事が届くと「信じられない。作曲家に出資する以上のお金の使い方など何があるというのか」と攻撃的な返事を返したという。

夜中に作曲しているときには周囲の迷惑も考えずメロディーを歌ったりする反面、自らが寝るときは昼寝でも周りがうるさくすることを許さなかったという。

常軌を逸する浪費癖の持ち主で、贅沢をしながら支援者から多額の借金をしながら踏み倒したり、自らの専用列車を仕立てたり、当時の高所得者の年収5年分に当たる額を1ヶ月で使い果たしたこともあった。

過剰なほどの自信家で、自分は音楽史上まれに見る天才で、自分より優れた作曲家はベートーヴェンだけだ、と公言して憚らなかった。このような態度は現代の作曲家のシュトックハウゼンらと共通部分が非常に多く、多くの信奉者を出すと同時に敵や反対者も出す結果となっている。


主なオペラ、楽劇作品

さまよえるオランダ人』 (Der fliegende Holl?nder )3幕の歌劇で、1842年に完成したが、作曲者は1幕形式を望んでいて今日は1幕で上演される。救済のない荒々しい音楽の初稿と救済のある幾分穏やかな音楽の改訂稿がある。

タンホイザー』 (Tannh?user und der S?ngerkrieg auf Wartburg )正しくは『タンホイザーとワルトブルクの歌合戦』と題された歌劇で、3幕から成り、主人公のミンネゼンガー(Minnes?nger 、恋愛歌人) タンホイザーと、ワルトブルク領主の姪 エリーザベト(Elisabeth )との、壮絶な愛の物語である。この作品は、1845年に完成し、ドレスデンにて初演された。初版の他に作曲者自身の手による、幾つかの改訂を経た「ドレスデン版」や、1861年パリオペラ座での上演の際のフランス語による「パリ版」とそのドイツ語版,、更に事実上の最終稿である「ウィーン版」などがあり、それぞれ曲の構成などが微妙に異なっている。今日では、序曲が管弦楽作品として単独で、第2幕の一場面が管弦楽などに編曲され「タンホイザー行進曲」などとして演奏される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen