かつてはコントなどもやっていたが、現在はどちらかというと、リポーターの仕事が主になってきている。
たけし軍団入り当初はプロレスラー・力道山をもじった力道川(りきどうがわ)の芸名で活動。現在の芸名はプロレスラー・ラッシャー木村になぞらえたもので、前職が板前(実際は板前ではなく、板前の見習いで皿洗いをしていたらしい)だった事に由来する。
たけしに弟子入りを志願し、家の前に張り込みを決行するも初日はダンカンに一蹴されてしまう。しかし翌日も諦めずに張り込みをしていたところ、前職の経験を生かして料理を作る役割の担当も兼ねるということで軍団入りを許された。それから約20年後に迎えたラッシャーの結婚披露宴の席でたけしは「うちの軍団たちはどうしようもないバカばっかりだが、時に自分の実の子供よりも可愛いと思えるときがあるんだ」と目を潤ませて祝辞を述べた。たけしによる言葉は披露宴の予定になかったため、思わぬ師匠からの愛ある言葉にラッシャーはその場で号泣したというエピソードがある。さらに1985年にたけしが出版した小説「あのひと」は、ラッシャーの目線から師匠・たけしとの師弟愛が描かれている。このようにラッシャーは他の軍団からも羨ましがられるほど、たけしからの愛情を受けてきた。
『スーパージョッキー』の熱湯コマーシャルでは板前がスタートボタン、ラッシャー木村がストップボタンを押すという「夢の兄弟対決(実際は対決ではなく共演であるが、番組内でたけし及びガダルカナル・タカが対決と表現している)」が実現した。また『スーパージョッキー』での田村亮子のものまねで大ウケをとった。また伊藤みどりのものまねをしてスケート協会のひんしゅくを買い、それ以前までロケで使っていたスケートリンクが使えなくなったこともある。
1986年のたけし軍団によるフライデー襲撃事件の際には、痔の手術により実行犯に加わらなかった。入院中、家族や看護婦や医師、同じ病室で入院している患者仲間などと話をした際、ラッシャーは「たけしさん達がまさかこんな事を起こすなんて信じられない」との発言をして、病院の公衆電話で井手らっきょとつまみ枝豆に連絡した。この事件のために『オレたちひょうきん族』のコントや『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』などでたけしの代役を務めたことがある(後者はたけしの顔人形の中に入り、何も喋らず身振り手振りで城主たけしを演じていた)。
サッカー選手の三浦知良の無名時代、同じマンションに住まわせて面倒を見ていた時期がある。
横浜ベイスターズの鈴木尚典とは遠縁であり顔立ちがよく似ている。
芸能界きってのかなりの風俗好きである。
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』ではスカイダイビングやバンジージャンブなどに積極的に参加して活躍していた(本人は高い所が苦手であるが、怖がる様子が面白がられたため、決まって高いところへ連れて行かれる役割であった)が、2007年の復活特番では、たけし軍団のメンバーの中で松尾伴内らと共に参加しなかった一人である。
レギュラー番組
スーパーJチャンネル(テレビ朝日)※火曜18時台ローカル枠「ラッシャー板前の便利屋大将!」に出演。
朝だ!生です旅サラダ(朝日放送制作・テレビ朝日系)※中継担当
Doki Doki てれび(北陸朝日放送)
静岡発!そこ知り(静岡放送)
ちい散歩(ショッピングコーナー担当、テレビ朝日) 2008年4月〜
CM
サンスター デミュートサンスター -ビートたけしと共演
外部リンク
⇒ラッシャー板前の喜怒哀楽(公式サイト)
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更新日時:2008年7月27日(日)08:12
取得日時:2008/08/19 01:37