正式名称は、ラーオ語で、(ラテン文字転写 : Sathalanalat Paxathipatai Paxaxon Lao、読み : サーターラナラット・パサーティパタイ・パサーソン・ラーオ)。
サーターラナラットが「共和国」、パサーティパタイが「民主主義」、パサーソンが「人民」、ラーオが「ラーオ族」を意味する。
公式の英語表記は、Lao People's Democratic Republic(ラウ・ピープルズ・デモクラティック・リパブリック)。通称は、Laos(ラウス、または、ラオス)。
日本語表記は、ラオス人民民主共和国。通称は、ラオス。漢字表記は老?で、老と略す。ただし、ラオス系華僑の間では伝統的に「寮」と略している。ヴィエンチャン市内には中国語学校の名門「寮都学校」があり、また、日寮、寮華などの略称を冠する団体、企業はラオス国内外を問わず多数存在する。
詳細はラオスの歴史を参照
ラオスの歴史は、中国南西部(現在の雲南省中心)にあったナンチャオ王国(南詔国)の支配領域が南下し、この地に定住者があらわれた時代に始まる。王国滅亡後の1353年に、ラーオ族による統一王朝ラーンサーン王国が建国され、その勢力は現在のタイ北東部やカンボジア北部にまで及んだ。しかし、18世紀には、3国に分裂し、それぞれタイやカンボジアの影響下に置かれ、両国の争いに巻き込まれる形で戦乱が続いた。19世紀半ばにフランス人がインドシナ半島に進出し始めた頃には、ラオスの3国はタイの支配下にあったが、ラオスの王族はフランスの力を借りて隣国に対抗しようとし、1893年にフランスの保護国となり仏領インドシナ連邦に編入された。第二次世界大戦中に日本に占領された後(日本支配下の1945年4月8日に独立宣言している)、1949年、フランス連合内のラオス王国として独立。そして1953年10月22日、フランス・ラオス条約により完全独立を達成した。独立後、ラオスでは右派、中立派、左派(パテート・ラーオ)による内戦が長期にわたって続いた。1974年三派連合によるラオス民族連合が成立したが、1975年南ベトナムのサイゴン陥落後、1975年にはパテート・ラーオがラオス全土を制圧、同年12月に王政を廃止してラオス人民民主共和国を樹立した。
1977年12月、在ラオス日本大使館杉江清一書記官夫妻殺害事件が発生。犯行動機など不明な点が多く、政治的犯行を示唆する発表がラオス国営放送から成された[1]。
2007年6月、アメリカに亡命したミャオ族の元王国軍将軍とアメリカ軍退役少佐によるクーデター計画が発覚。関係者はアメリカ司法当局により局外中立違反で逮捕された。
1975年 - 共産主義のラオス人民民主共和国が成立。
1980年 - タイと国境紛争。
1980年 - ラオス人民革命党、中国共産党と関係断絶。
1986年 - 新経済政策(ラボップマイ)を導入。
1987年 - タイと国境紛争、タイ空軍機1機が撃墜される。
1988年 - ラオス人民革命党、中国共産党との関係改善。
1991年 - 憲法制定。ラオス人民革命党の一党独裁体制維持を確認。
1992年 - カイソーン大統領死去。
1997年 - 7月23日 東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟。
共産主義思想
マルクス主義 ? レーニン主義
スターリン主義 ? トロツキー主義
毛沢東思想 ? ユーロコミュニズム
国際組織
コミンテルン ? コミンフォルム
第四インターナショナル
人物
マルクス ? エンゲルス
レーニン ? トロツキー
スターリン ? 毛沢東
出来事
ロシア革命 ? 大粛清
スターリン批判 ? ハンガリー動乱
中ソ対立 ? 文化大革命
プラハの春 ? 天安門事件
東欧革命 ? ソ連崩壊
表・話・編・歴
マルクス・レーニン主義を掲げるラオス人民革命党による一党独裁体制。