大学4年生の時、ポーリングは「家政学科のための化学」という3年生のコースを教えていた。[3]そこでエヴァ・ヘレン・ミラーと出会い、1923年6月17日に結婚した。彼らの間には3人の息子(クレリン、ライナス、ピーター)と1人の娘(リンダ)が生まれた。
ポーリングはその後、グッゲンハイム奨学金を使ってヨーロッパに渡り、ミュンヘンでドイツ人物理学者のアルノルト・ゾンマーフェルトに、コペンハーゲンでデンマーク人物理学者のニールス・ボーアに、そしてチューリッヒでオーストリア人物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーにそれぞれ師事した。これら3人の物理学者は、物理学の諸分野に加えて量子力学という新分野を専門にしていた。オレゴン農業大学に在学中、ポーリングは量子論、量子力学の考え方に触れ、それらがどのように原子と分子の電子構造の理解に応用されるのかに興味を持った。ヨーロッパでポーリングは、ヴァルター・ハイトラーとフリッツ・ロンドンが行った水素分子中の結合の量子力学的解析のひとつに触れる。ポーリングは2年間のヨーロッパ滞在をこの仕事に費やし、これを将来研究の焦点にすることを決めた。これにより、量子化学の最初期の研究者、および量子論を分子構造論へ応用した草分け的存在となる。1927年、カリフォルニア工科大学で理論化学の助教 (assistant professor) に就任した。
ポーリングはカリフォルニア工科大学で教員活動を開始したが、最初の5年間は非常に実りが多く、X線結晶学の研究と、原子や分子の量子力学計算を続けた。この5年間で彼はおよそ50の論文を発表し、ポーリングの法則として知られる5つの法則を発見した。1929年、彼は准教授 (associate professor) に昇任し、1930年には教授に就任した。1931年までにアメリカ化学会よりラングミュア賞(30歳以下の人物による純粋科学で最も重要な研究に送られる)を受賞した。1932年、ポーリング自身が最も重要なものとみなしていた論文、すなわち、原子軌道の混成の概念を打ち出し、それにより四価である炭素原子の電子構造を説明する論文を発表した。
カリフォルニア工科大学で、ポーリングは理論物理学者のロバート・オッペンハイマーと親交を結ぶ。オッペンハイマーはカリフォルニア大学バークレー校の教授だったが、毎年研究や講義で一部の時間をカリフォルニア工科大学で過ごしていた。ポーリングは睡眠中に歌を歌うことで知られており、そのために、一度夜中に歌を歌い逮捕されたことがあった。2人は共同で化学結合の本質を暴くことを計画した。つまり、オッペンハイマーが数学の部分を担当し、ポーリングがその結果を解釈していたようである。しかしこの関係は、オッペンハイマーが妻エヴァ・ヘレンに近付きすぎているのではないかとポーリングが疑い始めたことによって、ほころびていった。ある時、ポーリングが仕事で外出している最中、オッペンハイマーは彼らの家を訪れてエヴァ・ヘレンにメキシコへの逢い引きを誘った。彼女はにべもなく断り、ポーリングにこの出来事を報告した。この事件と、この事件に関して彼女が外見上無関心であったことからポーリングの心は乱れ、すぐに彼はオッペンハイマーとの親交を断ち切った。これは後年において、ポーリングとオッペンハイマーの関係が冷える原因となった。オッペンハイマーは原子爆弾計画の際、ポーリングを化学部門のトップに招いたが、ポーリングは自分が平和主義者であることを理由に辞退した。
1930年の夏、ポーリングは再びヨーロッパに渡り、電子線回折法を学んだ。カリフォルニア工科大学で彼は学生のブロックウェイ (L. O. Brockway) と共に電子線回折装置を構築し、多くの分子構造解析に活用した。
1932年、ポーリングは電気陰性度の概念を発表。結合開裂エネルギーや分子の双極子モーメントなど、分子の様々な性質を用いて、彼は物質の多くの情報を記述する「ポーリングの電気陰性度」を確立させた。この電気陰性度は、分子中の原子間の結合の性質を予測するのに役立つものである。
1930年代、ポーリングは化学結合の性質に関する論文を発表し始め、1939年にはこの分野の有名な教科書を出版した。ポーリングは1954年に「化学結合の本性、ならびに複雑な分子の構造研究」でノーベル化学賞を受賞するが、この受賞理由は主にこの分野の研究に基づくものである。1939年、ポーリングは化学結合に関する研究の成果を「化学結合の本性 The Nature of the Chemical Bond」という著作にまとめた。この本は化学界に非常に大きな影響を与え、初版が出版されてから30年間のうちに引用された回数は16,000を超えた。今日においても、重要な学術雑誌に掲載される多くの論文がこの著作を引用している。
ポーリングの化学結合の研究の一部は、軌道の混成という概念の導入への道標を与えた。原子内の電子は s や p などの型を持つ軌道として記述されるのが普通だが、分子内の結合を記述する際には、これら軌道のうちいくつかの性質を帯びた関数を組み立てると都合が良いことがわかった。具体的に言えば、炭素原子が持つ1つの2s軌道と3つの2p軌道は、「sp3混成軌道」と呼ばれる4つの等価な軌道を形成し、メタンなどの炭素化合物を適切に説明する軌道となる。また、2s軌道は2つの2p軌道と混成して(この場合には1つの2p軌道が非混成のまま残される)、「sp2混成軌道」と呼ばれる3つの等価な軌道を形成する場合もある。これはエチレンなどある種の不飽和炭素化合物を説明する際に適切な軌道である。さらに異なる軌道の混成も、他の種類の分子では確認されている。
彼が探究した他の領域としては、電子が原子間を移動するイオン結合と、電子が原子間で対等に共有される共有結合の関係についてのものがある。ポーリングは、これらは共に極端な例に過ぎず、実際にはほとんどの結合はこれらの2つの中間であることを示した。ここで顕著に活躍したのが、ポーリングの「電気陰性度の概念である。一対の原子における電気陰性度の差を調べれば、非常に高い精度で結合のイオン性の度合いを予測出来る。
「化学結合の本性」の究明に向けてポーリングが着手したさらなる事象に、芳香族炭化水素、特にその原型であるベンゼンの構造の研究があった。