ライナス・ポーリング
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化学結合の性質の探究

1930年代、ポーリングは化学結合の性質に関する論文を発表し始め、1939年にはこの分野の有名な教科書を出版した。ポーリングは1954年に「化学結合の本性、ならびに複雑な分子の構造研究」でノーベル化学賞を受賞するが、この受賞理由は主にこの分野の研究に基づくものである。1939年、ポーリングは化学結合に関する研究の成果を「化学結合の本性 The Nature of the Chemical Bond」という著作にまとめた。この本は化学界に非常に大きな影響を与え、初版が出版されてから30年間のうちに引用された回数は16,000を超えた。今日においても、重要な学術雑誌に掲載される多くの論文がこの著作を引用している。

ポーリングの化学結合の研究の一部は、軌道の混成という概念の導入への道標を与えた。原子内の電子は s や p などの型を持つ軌道として記述されるのが普通だが、分子内の結合を記述する際には、これら軌道のうちいくつかの性質を帯びた関数を組み立てると都合が良いことがわかった。具体的に言えば、炭素原子が持つ1つの2s軌道と3つの2p軌道は、「sp3混成軌道」と呼ばれる4つの等価な軌道を形成し、メタンなどの炭素化合物を適切に説明する軌道となる。また、2s軌道は2つの2p軌道と混成して(この場合には1つの2p軌道が非混成のまま残される)、「sp2混成軌道」と呼ばれる3つの等価な軌道を形成する場合もある。これはエチレンなどある種の不飽和炭素化合物を説明する際に適切な軌道である。さらに異なる軌道の混成も、他の種類の分子では確認されている。

彼が探究した他の領域としては、電子が原子間を移動するイオン結合と、電子が原子間で対等に共有される共有結合の関係についてのものがある。ポーリングは、これらは共に極端な例に過ぎず、実際にはほとんどの結合はこれらの2つの中間であることを示した。ここで顕著に活躍したのが、ポーリングの「電気陰性度の概念である。一対の原子における電気陰性度の差を調べれば、非常に高い精度で結合のイオン性の度合いを予測出来る。

「化学結合の本性」の究明に向けてポーリングが着手したさらなる事象に、芳香族炭化水素、特にその原型であるベンゼンの構造の研究があった。当時、ベンゼンは既にドイツの化学者フリードリヒ・ケクレによって非常に精密な説明がなされていた。ケクレはベンゼンを2つの異なる構造が高速で相互交換しているものだとして扱った。その2つの構造とは、一重結合と二重結合が交互に並ぶ点では共通だが、片方の構造がある位置に二重結合を持てば、もう片方の構造はその位置に一重結合を持つというものである。ポーリングは、ベンゼンは2つの構造が混ざった中間体構造であるとして量子力学に基づいた厳密な説明を示した。この中間体構造とは、2つの構造の高速相互交換では無くそれらの重ね合わせを意味する。今日、この現象は共鳴として知られる。ある意味でこの現象は、1つ以上の電子構造の混合が中間体構造を与える点から、前述の軌道混成に似ているとも言える。


原子核構造の研究

1952年9月16日、ポーリングは新しい研究ノートに次の文を記した[4]

"I have decided to attack the problem of the structure of nuclei"
(「私は核構造の問題に着手することを決心した」)

1965年10月15日、ポーリングは原子核のクロース-パックト・スフェロン模型 (Close-Packed Spheron Model) を Science と Proc. Natl. Acad. Sci. 誌上で発表した。[5]他界する1994年までのほぼ30年間、ポーリングはスフェロン・クラスター・モデルに関する多くの論文を発表した。[6] [7] [8] [9] [10] [11]

現代の核物理学の本でポーリングのスフェロン原子核模型を扱ったものはほとんど無いが、一流の科学雑誌で発表されたこの模型は、基本的な「核子の塊」が既存の量子力学と矛盾せずに殻構造を形成する仕組みについて斬新な視点を与えるものであった。ポーリングは量子力学について熟知しており、この分野の最初の教科書「Introduction to Quantum Mechanics with Applications to Chemistry by Linus Pauling, E. Bright Wilson, 1935」の共著者でもある。2006年に出版された原子核の諸モデルの再考(Norman D. Cook, Models of the Atomic Nucleus, 2006, Springer)で、著者はポーリングのスフェロン模型について次のように述べている。

「……この模型はより常識的な原子核構造を導き出しており、否定困難な論理を内部に秘めている……だが……原子核の理論家達は未だに核子スフェロンの概念を詳述していない。ポーリングの模型は原子核理論の主流に未だに入らないでいるのだ。」

クックは、ポーリングのスフェロン原子核模型がさらに良い模型によって不適切であると示されたとは結論付けていない。

ポーリングのスフェロン核子塊には、重陽子 (NP)、ヘリオン (PNP)、三重子 (NPN) が含まれる。軽核ではたびたび説明されているように、偶偶核もまたアルファ粒子の塊から構成されていると説明した。彼は、通常の殻模型のように独立した粒子から始める代わりに、プラトンの立体から核の殻構造の導出することを試みた。当時、時折「もし無名の人間がこの仕事を行っていたら、彼が浴びたほどの注目を浴びなかっただろう」と批判されることがあったが、ポーリングであれば1940年代末にマリア・ゲッパート=メイヤーが発見した原子核構造を、誰も思いつかないようなアプローチで理解をしようとしたと思われる。あるインタビューでポーリングは彼のモデルについてこう述べている。

「私は最近、原子核の詳細な構造を解明しようと、基底状態と励起状態のVibrational Bendsを分析している。物理学の文献(Physical Review Lettersなど)を読む限り、多くの物理学者が原子核に興味を持っているのは分かるが、私が発見したものについて、誰も私と同じ方法で問題に挑戦しないのだ。だから私は計算をしながら自分の好きなスピードで研究を進めることが出来るのである。……」


生体分子の研究

1930年代中頃、ポーリングは新たな分野の研究に乗り出すことを決心した。彼が仕事を始めて間もない頃は、生体分子の研究にはあまり興味が無かった。しかしカリフォルニア工科大学が生物学への重きを強めていき、トーマス・ハント・モーガンテオドシウス・ドブジャンスキー、カルヴィン・ブリッジズ、アルフレッド・スタートヴァントなど偉大な生物学者と関係を持つにつれ、ポーリングはそれまでの考えを変え、生体分子の研究に傾倒するようになった。この分野におけるポーリングの最初の研究はヘモグロビンの構造に関わるものだった。彼はヘモグロビン分子が酸素原子を得たり失ったりする時に分子構造が変化することを示した。この成功により、彼はタンパク質全般を徹底的に研究することを決めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki