ヨーロッパ戦勝記念日(略して VEデー、英語:Victory in Europe Day、V-E Day or VE Day)は1945年5月8日あるいは5月7日、連合国が第二次世界大戦でナチス・ドイツを公式に降伏させ、ヨーロッパにおける勝利を収めたことを記念する日である。
目次
1 降伏文書調印
2 ソ連側の対独戦勝記念日
3 戦勝国での反応
4 ドイツ側の反応
5 対日戦勝記念日
6 外部リンク
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1945年5月7日午前2時41分、フランス・シャンパーニュ地方のランスにあった連合国遠征軍総司令部 ( ⇒Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force, SHAEF) で、ドイツ国防軍作戦部長アルフレート・ヨードル将軍と連合国軍司令長官ドワイト・D・アイゼンハワー将軍はドイツの無条件降伏文書に調印した。この結果、中央ヨーロッパ時間で翌5月8日23時01分に全ての戦闘は停止された。(イギリスは西ヨーロッパ夏時間だったので、停戦は5月9日0時01分であった。) 第二次世界大戦のヨーロッパ戦線(西部戦線)はここに終結した。
この際ランスにいたソ連軍代表のススロパロフ(Ivan Susloparov)将軍は連絡将校であり、降伏文書調印の権限があるかどうか明らかでなかった。ススロパロフ将軍は調印を独断で行うのをやめ、ソ連は別の式典をベルリンで行うはずだと述べた。実際にヨシフ・スターリンもランスで他の連合国とともに降伏調印をするのを望まず、ソ連単独での降伏式典を望んでいた。
5月8日、ベルリン市内のカルルスホルスト ( ⇒Karlshorst) にあった赤軍司令部で、ソ連軍のゲオルギー・ジューコフ将軍とドイツ国防軍のヴィルヘルム・カイテル元帥が降伏文書に調印した(これはモスクワ夏時間では5月9日未明のことであった)。この5月9日が、ロシアをはじめウクライナ、ベラルーシなど旧ソ連諸国での対独戦勝記念日となっている。(詳細は戦勝記念日 (旧ソビエト連邦) ( ⇒ru:День Победы) 、 ⇒Victory Day (Eastern Europe)を参照)
1945年5月8日、各地で大規模な祝典が開催された。特にロンドンでは盛大で、この後も数年間にわたり食糧や衣服の配給が続いた厳しい経済環境の中、100万人以上の群集がカーニバルのような雰囲気の中で欧州戦線の終わりを祝った。トラファルガー広場からザ・マルを経てバッキンガム宮殿に至る地域は群集で埋まり、ジョージ6世とエリザベス王妃、ウィンストン・チャーチル首相が宮殿バルコニーから人々に手を振った。このとき、エリザベス王女とマーガレット王女はロンドンの群衆の中へ入って人々と共に祝うことを許された。
アメリカ合衆国では、ハリー・S・トルーマン大統領の61歳の誕生日だった。トルーマン大統領は、この勝利を、大戦のほとんどを指揮したものの1ヶ月弱前の4月12日に死去した故フランクリン・ルーズベルト大統領にささげる旨語った。この日、前大統領の30日間の喪のため、国旗はまだ半旗であった。
このときソ連とドイツの戦闘はまだ続いていたが、西側のジャーナリズムはドイツ降伏を特大ニュースとして報じ、各地の祝勝式典をせきたてた。ソ連は翌5月9日にベルリンでの降伏式典を報じ、「大祖国戦争」の勝利を祝った。
1945年5月8日までに、ドイツの南部を除くほとんどは連合軍に占領されていた。占領地ではすでにナチス体制は崩壊し、市民はあるいは占領下の生活を受け入れ、あるいはソ連軍などから逃れての逃避行の途上にあった。それゆえ、「5月8日」自体はほとんどのドイツ人にとって急激な変化の日とは受けとめられなかった。
後年、ドイツ連邦共和国はこの日を「第二次大戦終戦の日」("Ende des Zweiten Weltkrieges")と呼称し、「5月8日」は国民の間でドイツ敗戦の日として重く受けとめられることになる。