ユーゴスラビア
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ユーゴスラビア王国の君主

すべてカラジョルジェヴィチ家
ペータル1世(1918年-1921年セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王)

アレクサンダル1世(1921年-1929年セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王、1929年-1934年ユーゴスラビア王)

ペータル2世(1934年-1941年ユーゴスラビア王、1941年-1945年枢軸国の侵略によりロンドン亡命)


ユーゴスラビア共産主義者同盟の書記長
ヨシップ・ブロズ・チトー(1939年3月-1980年5月4日)

ブランコ・ミクリッチ(クロアチア出身、1978年10月19日 - 1979年10月23日)代理

ステヴァン・ドロニスキ(ヴォイヴォディナ出身、1979年10月23日 - 1980年5月4日)代理


ステヴァン・ドロニスキ(ヴォイヴォディナ出身、1980年5月4日 - 1980年10月20日)

ラザル・モイソフ(マケドニア出身、1980年10月20日-1981年10月20日)

ドゥシャン・ドラゴサヴァツ(クロアチア出身、1981年10月20日-1982年6月29日)

ミチャ・リビチッチ(スロヴェニア出身、1982年6月29日-1983年6月30日)

ドラゴスラヴ・マルコヴィチ(セルビア出身、1983年6月30日-1984年6月26日)

アリ・スクリヤ(コソヴォ出身、1984年6月26日-1985年6月25日)

ヴィドイェ・ジャルコヴィチ(モンテネグロ出身、1985年6月25日-1986年6月26日)

ミランコ・レノヴィツァ(ボスニア・ヘルツェゴビナ出身、1986年6月26日-1987年6月30日)

ボシュコ・クルニッチ(ヴォイヴォディナ出身、1987年6月30日-1988年6月30日)

スティペ・シュヴァル(クロアチア出身、1988年6月30日-1989年6月30日)

ミラン・パンチェフスキ(マケドニア出身、1989年6月30日-1990年6月30日)


ユーゴスラビア連邦人民共和国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国大統領
イヴァン・リヴァル(1945年12月29日 - 1953年1月14日)

ヨシップ・ブロズ・チトー(1953年1月14日 - 1980年5月4日)1963年から終身大統領

ラザル・コリシェヴスキ(1980年5月4日 - 1980年5月15日)

ツヴィイェチン・ミヤトヴィッチ(1980年5月15日 - 1981年5月15日)

セルゲイ・クライゲル(1981年5月15日 - 1982年5月15日)

ペータル・スタンボリッチ(1982年5月15日 - 1983年5月15日)

ミカ・シュピルヤク(1983年5月15日 - 1984年5月15日)

ヴェセリン・ドゥラノヴィッチ(1984年5月15日 - 1985年5月15日)

ラドヴァン・ヴライコヴィッチ(1985年5月15日 - 1986年5月15日)

シナン・ハサニ(1986年5月15日 - 1987年5月15日)

ラザル・モイソヴ(1987年5月15日 - 1988年5月15日)

ライフ・ディスダレヴィッチ(1988年5月15日 - 1989年5月15日)

ヤネス・ドルノウシェク(1989年5月15日 - 1990年5月15日)

ボリスラヴ・ヨヴィッチ(1990年5月15日 - 1991年5月15日)

スティエパン・メシッチ(1991年6月30日 - 1991年10月3日)

ブランコ・コスティッチ(1991年10月3日 - 1992年6月15日)代理


ユーゴスラビア連邦共和国大統領
ドブリツァ・チョーシチ(1992年6月15日 - 1993年6月1日)

ミロシュ・ラドゥロヴィッチ(1993年6月1日 - 1993年6月25日)代理


ゾラン・リリッチ(1993年6月25日 - 1997年6月25日)

スルダ・ボゾヴィッチ(1997年6月25日 - 1997年7月23日)代理


スロボダン・ミロシェヴィッチ(1997年7月23日 - 2000年10月7日)

ヴォイスラヴ・コシュトニツァ(2000年10月7日 - 2003年3月7日)


政治

1918年から1941年まではカラジョルジェヴィチ家による王制。

1945年以降はユーゴスラビア共産主義者同盟による一党独裁。ただし地理的に西ヨーロッパに近いことや、ソ連及びその衛星国と政治体制を差別化する必要があった事から、比較的自由な政治的な発言は許される風土があったとされる。

1989年にユーゴスラビア共産主義者同盟は一党独裁を放棄し、複数政党制の導入を決定した。翌1990年に実施された自由選挙ではセルビアとモンテネグロを除いて非ユーゴスラビア共産主義者同盟系の民族主義的色彩が非常に強い政治グループが政権を獲得した。


地方行政区分


1918年-1941年1918年-1939年の行政区分

詳細はユーゴスラビア王国の地方行政区分を参照

1929年、中央集権化政策の一環としてそれまでの33州(Oblast)を改編して10の州(banovina)を設けた。1939年、ツヴェトコヴィッチ=マチェク合意に基づき、サヴァ州、プリモリェ州全域とヴルバス州、ドリン州の一部をクロアチア自治州として設定した。

ドラヴァ州(Dravska banovina)

サヴァ州(Savska banovina)

プリモリェ州(Primorska banovina)

ヴルバス州(Vrbaska banovina)

ドナウ州(Dunavska banovina)

ドリン州(Drinska banovina)

モラヴァ州(Moravska banovina)

ゼタ州(Zetska banovina)

ヴァルダル州(Vardarska banovina)

ベオグラード市(Grad Beograd、パンチェヴォおよびゼムンを含む)


1945年-1990年1945年以降の各共和国、及び自治州

詳細はユーゴスラビア社会主義連邦共和国の地方行政区分を参照

1945年以降は社会主義体制が敷かれ、民族、あるいは地域ごとの共和国からなる連邦制をとった。1974年には憲法を改正し、セルビア共和国の一部であるヴォイヴォディナ自治州とコソボ自治州を、各共和国とほぼ同等の地位へと昇格させた。

スロベニア社会主義共和国

クロアチア社会主義共和国

マケドニア社会主義共和国

ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国

セルビア社会主義共和国


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki