紀元前13世紀頃、ヘブライの地から古代エジプトに奴隷として連れ去られる。(ヘブライの地に住んでいた多くの農耕ユダヤ人(ヘブライ人というべきか)は古代イスラエルに残ることができ、イスラム教やキリスト教に改宗して現在のパレスチナ人などになったとする説も強い) それから約200年後に古代ユダヤ人の一人モーゼが中心となり約60万人の人々がエジプトから脱出に挑戦し成功する。それから約40年もかけて古代イスラエル王国のところに辿り着く。
紀元前10世紀頃、古代ユダヤ人はユダヤ教を国教とする古代イスラエル王国をパレスチナに建国したが、紀元前586年に新バビロニアにより滅亡した。
以来2500年近く確固たる民族(宗教)国家を持たず、ローマ帝国に反乱を鎮圧されて以降はほとんどの国民がヨーロッパを中心に世界各国へ散らばった。以降ユダヤ教徒としての各地への定着が進む。
ユダヤ教を信仰するユダヤ人はそのため土地の所有や職人(ギルド)への弟子入りが許されなかったが、才覚があったためキリスト教で禁止されていた金融業や商業などを発達させた。シェークスピアのヴェニスの商人に登場する金貸し、シャイロックもユダヤ人である。 7世紀〜10世紀にカスピ海北部にハザール王国が出現し、ユダヤ教を国教とした。
19世紀後半に入ると古代に祖先が暮らしていたイスラエルの地に帰還してユダヤ人国家を作ろうとする運動(シオニズム運動)が起きた。この運動は第二次世界大戦時のホロコーストをきっかけに盛んになり、後のイスラエル国家建設に繋がっていくことになる。
「ユダヤ人」は世界に離散後もそのほとんどがユダヤ教徒であり(キリスト教やイスラムに改宗した途端、現地の「民族」に「同化」してしまう)、ユダヤ教の宗教的聖地のひとつであるイスラエルの地に帰還することもその理由の一つである。
年表
313年 - ミラノ勅令(ローマ帝国で、これまで弾圧を受けていたキリスト教が公認される)
392年 - ローマ帝国がキリスト教以外の宗教を禁止
529年 - ユスティニアヌス1世、アテネの哲学院(ギリシア哲学)を閉鎖
622年 - イスラム教が成立
6世紀〜8世紀頃 - 東ローマとササン朝が全面戦争。ユダヤ人の一部が大挙してアラビアに移住。新都市の建設に協力するが、イスラム教への改宗は拒絶した。その為、短期間、迫害を受ける。
7世紀以降 - イスラム教徒がイベリア半島に進出するに伴い、メソポタミア地方、シリア、小アジア、エジプト、そして勿論マグリブのユダヤ教徒がイベリア半島に移住(セファルディム、ジュデズモ語を参照)
10世紀 - アシュケナジムがライン地方に定着(詳細はアシュケナジム、イディッシュ語、中欧のユダヤ教徒の歴史を参照)
11世紀
十字軍、イスラム帝国分裂の結果、中東のユダヤ教徒が弾圧され、多くがヴェネツィアに移住
カトリック教会がユダヤ教徒をほとんどの職業から追放
この結果、キリスト教が禁止している職業(質屋や金の保管人、両替商などの利子を扱う職業)などにユダヤ教徒が就かざるを得ないことになり、結果的に金融業・銀行業を発達させることになったといわれる(ユダヤ教は異教徒から利子を受け取ることを許している)。このころからユダヤ教徒への偏見・中傷が芽生える。
1246年 - ミンダウカス、リトアニア大公として即位
14世紀初め - ヴワディスワフ1世によってポーランド再統一
1386年 - ポーランド、非キリスト教国であったリトアニア大公国から大公ヨガイラ(ヴワディスワフ2世)を国王に迎え入れ、リトアニアと連合(ヤギェウォ朝)
1453年 - オスマン帝国軍、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(現在のイスタンブル)を陥落させる。オスマン帝国では、この後、ユダヤ難民を受け入れ、ヨーロッパ世界とは異なり、基本的には非ムスリムに対する差別を禁止する、国家による平等社会が整備された
15世紀 - レコンキスタの進展によりスペインのイスラム勢力がキリスト教勢力に追われ、イスラム教国に協力したとされたユダヤ教徒が弾圧される。一部はキリスト教に改宗し、1492年改宗を拒否したユダヤ人は追放され、多数が地中海周辺の都市に移住。改宗したユダヤ人は、スペインにおいては差別はなくならず、マラーノと呼ばれ蔑まれた
1569年 - ルブリン合同
1648年 - ボフダン・フメリニツキー(ウクライナ・コサック)の反乱
1772年・1793年・1795年 - ポーランド分割