ユダヤ教徒
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年表
313年 - ミラノ勅令(ローマ帝国で、これまで弾圧を受けていたキリスト教が公認される)
392年 - ローマ帝国がキリスト教以外の宗教を禁止
529年 - ユスティニアヌス1世、アテネの哲学院(ギリシア哲学)を閉鎖
622年 - イスラム教が成立
6世紀〜8世紀頃 - 東ローマとササン朝が全面戦争。ユダヤ人の一部が大挙してアラビアに移住。新都市の建設に協力するが、イスラム教への改宗は拒絶した。その為、短期間、迫害を受ける。
7世紀以降 - イスラム教徒がイベリア半島に進出するに伴い、メソポタミア地方、シリア、小アジア、エジプト、そして勿論マグリブのユダヤ教徒がイベリア半島に移住(セファルディム、ジュデズモ語を参照)
10世紀 - アシュケナジムがライン地方に定着(詳細はアシュケナジム、イディッシュ語、中欧のユダヤ教徒の歴史を参照)
11世紀
十字軍、イスラム帝国分裂の結果、中東のユダヤ教徒が弾圧され、多くがヴェネツィアに移住
カトリック教会がユダヤ教徒をほとんどの職業から追放
この結果、キリスト教が禁止している職業(質屋や金の保管人、両替商などの利子を扱う職業)などにユダヤ教徒が就かざるを得ないことになり、結果的に金融業・銀行業を発達させることになったといわれる(ユダヤ教は異教徒から利子を受け取ることを許している)。このころからユダヤ教徒への偏見・中傷が芽生える。
1246年 - ミンダウカス、リトアニア大公として即位
14世紀初め - ヴワディスワフ1世によってポーランド再統一
1386年 - ポーランド、非キリスト教国であったリトアニア大公国から大公ヨガイラ(ヴワディスワフ2世)を国王に迎え入れ、リトアニアと連合(ヤギェウォ朝)
1453年 - オスマン帝国軍、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(現在のイスタンブル)を陥落させる。オスマン帝国では、この後、ユダヤ難民を受け入れ、ヨーロッパ世界とは異なり、基本的には非ムスリムに対する差別を禁止する、国家による平等社会が整備された
15世紀 - レコンキスタの進展によりスペインのイスラム勢力がキリスト教勢力に追われ、イスラム教国に協力したとされたユダヤ教徒が弾圧される。一部はキリスト教に改宗し、1492年改宗を拒否したユダヤ人は追放され、多数が地中海周辺の都市に移住。改宗したユダヤ人は、スペインにおいては差別はなくならず、マラーノと呼ばれ蔑まれた
1569年 - ルブリン合同
1648年 - ボフダン・フメリニツキー(ウクライナ・コサック)の反乱
1772年・1793年・1795年 - ポーランド分割
1786年 - ユダヤ教徒居住区( ⇒Jewish Pale, ?erta osedlosti)設置
18世紀末 - フランス革命:ユダヤ教徒の権利向上の動きもあり、ユダヤ教徒への弾圧が弱まって行ったが、逆に新反ユダヤ主義が芽生える面もあった
1789年8月26日 - 人間と市民の権利の宣言
1800年代 - ナポレオン戦争
1881年 - アレクサンドル3世即位。ユダヤ教徒弾圧始まる
1883年 - ロシア、イディッシュ演劇の上演禁止(オーストリア・ハンガリー帝国ではこのようなことはない)
19世紀末
東欧で続く弾圧から逃げるため、東欧のユダヤ教徒がパレスチナ(イスラエルの地)に移住し始める。ロスチャイルド家から移住の費用が補助されたといわれる。これが、後のイスラエル建国へとつながる。テルアビブの都市建設などが始まる
ドレフュス事件が起き、シオニズムが活発になる。フランス軍のユダヤ人大尉がスパイの冤罪を着せられた事件
1908年/9/14 - イズレイル・ザングウィル、アメリカのアイデンティティに対し「メルティング・ポット」論(原型が溶かされて一つになる)を唱える
1914年 - ホレイス・カレン Horace Kallen(ユダヤ系)、アメリカのアイデンティティに対し「サラダボール論」(それぞれの形の色と形を留めたままで共生する社会)を唱え、文化的多元主義(cultural pluralism)を提案する
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:Mamenoki