近隣結合法を用いた斎藤成也による核遺伝子DNAの分析、Ingman et al.、篠田謙一らによるミトコンドリアDNAの分析によるモンゴロイドの出現について示す。(各地域に住む人々のミトコンドリアDNAやY染色体、或いはヒトの核遺伝子を比較することにより、ヒトの移住の時期・系統・経路が推定出来る。)
20 -15 万年前、アフリカ大陸において現生人類(ホモ・サピエンス)が出現(人類のアフリカ単独起源説)。その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出し、現在のコーカソイドの前身となる。中東地域に進出した人類は、その後7万 - 5万年前にサフール大陸(現在のオセアニア地域)に進出、オーストラロイドの前身となる。さらに、5万 - 4万年前には西方では地中海伝いにヨーロッパへ進出する一方、東方ではヒマラヤ山脈を越え東南アジア・東アジア方面に進出する。
ヨーロッパに進出したグループは、その後も中東地域および北アフリカ地域との交流が保たれたため、これらの地域の人々の間では遺伝的な差異が生じず、現在でも同じコーカソイド(西ユーラシア人)に分類される。しかし、東南アジア・東アジア方面に進出した人々は、天然の要害であるヒマラヤ山脈・アラカン山脈が障害となり、中東・インド亜大陸の人々との交流を絶たれ、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなる。これが、後のモンゴロイドである[3]。
モンゴロイドはその後、1万4千 - 1万2千年前にベーリング地峡(のちのベーリング海峡)を渡りアメリカ大陸に進出。また、3千 - 2千年前には太平洋の島々にも移住した。
旧モンゴロイドも参照
中東地域・インド亜大陸方面から東南アジア方面に進出したと考えられるモンゴロイドを、かっての形態人類学では古モンゴロイドと区分した。
琉球列島を含む日本列島に到達した縄文人は古モンゴロイドとされる。なお、現在、北米最古の人骨であるケネウィック人は古モンゴロイドと最も類似し、古モンゴロイドの一部は北米にも進出したと考えられている。
古モンゴロイドは、熱帯雨林に適応した結果、低めの身長、薄めの肌の色、発達した頬骨、鼻梁が低く、両眼視できる視野が広い等の特徴を持つと考えられた。他の、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、長めの腕脚、波状の頭髪、長頭、等の特徴は新モンゴロイド以外の多くの「人種」と共通する。
新モンゴロイドも参照
北に向かった古モンゴロイドの子孫、及び中東にそのまま留まった集団の子孫がそれぞれ北上し、東ユーラシアの寒冷地域で独自の適応を遂げた集団が、かっての形態人類学で新モンゴロイドとされた人々である。
日本列島に到達した新モンゴロイドが渡来系弥生人で、日本列島全体においては、渡来系弥生人と縄文人の遺伝子が混ざりその後の日本人が形成されたとする説もある。
新モンゴロイドは、寒冷地域に適合した体質として、凹凸の少ない顔立ち、一重瞼、蒙古襞(目頭の襞)、体毛が少ないこと(特に男性のひげの少なさ)、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、短頭等がある。
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南北アメリカ大陸では、「モンゴロイド」の定着以前に人類は全く存在していなかったとの説が有力である。
モンゴロイドの一部は、フィリピン群島を経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島やニュージーランドにまで到達している(今日のポリネシア人、ミクロネシア人)。さらに一部のモンゴロイドは、古代に稲作文化を携えてアフリカのマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされる。(途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われる。
ユーラシア大陸のモンゴロイドは、当初はヒマラヤ山脈以東の太平洋沿岸及びその周辺を居住地域としていた。しかしモンゴル高原を中心とする中央アジアの乾燥帯に居住したモンゴロイドは遊牧生活で身につけた騎馬技術に長けたため、古代から中世においては軍事的に優位な存在であり続けた。
彼らはこの軍事力を武器に、古代はコーカソイドの居住地域であった中央アジア西域に進出、その後、東ヨーロッパ及び中東・南アジア(インド亜大陸)にも進出した。