モルドバ
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国名

正式名称はモルドバ語で、Република Молдова。

日本語の表記は、モルドバ共和国。通称、モルドバ。

モルドバという名前はダキア語のmolta(多い)dava(砦)に由来する。また、ハンガリーの貴族が川の名前から付けたという別の説もある。

なお、ロシア連邦連邦国家構成体であるモルドバ(Moldova,ウィキペディア日本語版では見だし語名をモルドヴィア共和国に統一)の日本語の表記もモルドバ共和国になってしまう。


歴史

古代からモルドバ平原にダキア人がいたが、その後やってきたローマ人入植者も加わりこの地帯独自の文化が形成された。271年のローマ軍撤退後は、ヨーロッパとアジアを繋ぐという戦略上重要な位置にあるためキエフのルース、モンゴル系などの様々な侵略を受けた。

中世には、モルダビア公国の東部を構成していた。16世紀にはモルダビアはオスマン帝国の属国になった。1812年ブカレスト条約によりベッサラビアとして帝政ロシアに併合される。第一次世界大戦終了後の1918年ベッサラビアは独立宣言して、同年ルーマニアの一部になる。

ソビエト連邦は1940年6月にベッサラビアを占領、モルダビア・ソビエト社会主義共和国が建国されソ連の一部となる。これは一部戦略的に重要な黒海沿岸などをウクライナ領としたもので、トランスニストリアが加わったものの面積は小さくなり、陸の孤島となった。独ソ不可侵条約が破られるとドイツ寄りの政権であったルーマニアはベッサラビアとウクライナの一部を併合してかつての形になる。1944年ソビエト軍の侵攻で、モルダビア・ソビエト社会主義共和国に戻る。スターリン政権の下、ルーマニア系住民がカザフスタンシベリア送りとなった。

1991年8月ソビエト崩壊後、モルドバとして独立を宣言し、1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に加盟。

独立当初にはルーマニアへの再統合を望む声もあったが、1994年圧倒的な票差で独立国家として歩むことが決まる。2001年与党の共産党が共産党員の大統領を指名、2005年再選され現在2期目となるウラディミール・ボロニンモルドバの大統領に就任した。


政治

国家元首は、任期4年の大統領である。議会は、一院制で101議席。

民族的、歴史的にもルーマニアと極めて近い存在であり(両国国旗が似ているのもそのため)、将来的にはルーマニアとの合併が計画されている。ただ、国内には旧ソ連時代に移住してきたロシア・ウクライナ人が独立を主張する「沿ドニエストル共和国」を巡る争いがあり、事実上ロシアとの紛争状態に。2003年に発生したグルジアでの無血クーデターの影響を受けモルドバ国内でも政権打倒を目指す運動が加速している。また、脱ロシアを志向する諸国で1997年に結成されたGUAMには発足当初から参加している。

モルドバの政党


地方行政区分

32の地域と5つの都市区域(ベリツィキシナウ、コムラト、ベンデルイ、ティラスポリ)、2つの独立自治地区(ガガウスとまだ状態について議論している分離した領域、沿ドニエストル)がある。


地理モルドバの地図


気候

年平均気温 9.5-11.0℃ 年平均降水量 568-604mm 年平均降水日数 99-128日


経済


低迷する経済

ヨーロッパ最貧国といってもいい程の経済状態。世界銀行によると、一日1ドル(1ドル=100)以下で暮らす人は国民の2割。一日2ドル(約200円)以下で暮らす人は国民の6割弱を占め、一ヶ月60ドル(約6,000円)以下の生活をしている人が国民の半数以上とされる。

なぜ貧困が加速したのかを以下で分析する。

この節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください


国内紛争

1990年、ドニエストル川東岸においてスラブ系住民を中心とした勢力が、モルドバ政府の民族主義的政策に反対し「沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国(現在の沿ドニエストル共和国)」として一方的に独立を宣言。その後1990年代前半にはモルドバ政府が沿ドニエストル地方を武力攻撃して、約1000人の死者と約3000人の負傷者を出すなど内戦に発展。それに対抗してロシアが沿ドニエストルに味方して軍事介入した結果ようやく停戦したが、現在でも紛争終結の目処は立っていない。モルドバ政府は沿ドニエストルの武装解除や警察権の剥奪、モルドバの法制度への完全な従属などを主張しているが、沿ドニエストル共和国はモルドバと対等な形での国家連合か連邦制、モルドバ共和国からの離脱権の保持などを主張して譲らない。沿ドニエストル側のこの地域はモルドバ工業生産の3分の1を占めていたので、モルドバ側としては主要な工業地域を奪われた形になった。(※モルドバ政府の政策は工業化ではなく、農業推進型。)

また同時期に、ベッサラビア地方に住まうガガウス人の独立運動も発生したが、こちらはガガウス側の譲歩でガガウス独立自治区という独自の自治権を持つことで独立を撤回。(ガガウス人は歴史的にトルコとの付き合いが強く、現在ガガウス自治区に対して、トルコより経済援助が行われている。)



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki