モルドバ経済は資源供給などロシアに依存する面が多く、そのためロシア経済の影響を大きく受ける。ところがそのロシアで、
1992年から1995年のロシア国内のハイパーインフレーション。
1998年のロシア通貨危機。
と立て続けに経済危機が発生。それに伴い、モルドバ経済も大きなダメージを受けた。
ソ連が崩壊した原因は急速な市場経済化であった。そしてモルドバはソ連から独立したが、現在の貧困過疎化等から国民の中にはソ連時代の方がまだ良かったという人まで増えている状態である。ついに政党も共産党が旧ソ連圏の中で初めての第一党となった。ロシア寄りの経済をいこうとする共産党だが、IMFはアメリカ寄り。そしてモルドバの最大の援助国は1位アメリカ、2位ドイツ、3位オランダ、4位日本である。
IMF/世銀は国際収支の改善、インフレの安定を目的とする政策を掲げているが、それに対し、ユニセフは「ヒトを無視した改革は真の貧困解決ではない」と反論している。エイズ患者の増加や相次ぐ人身売買の送り国の現状の解決のためにも貧困の解決は急務だが、IMFの方法は失業率を悪化させ、新たな貧困を生むので良くないと批判している。
モルダヴィアのワインの系譜につながるワインが、名産品として造られている。
モルドバ人(ルーマニア人)(約78.2%)、ウクライナ人(8.4%)、ロシア人(5.8%)、ガガウズ人(4.4%)、ブルガリア人(1.9%)の順に多い。ほかにドイツ植民者など。また、かつてはユダヤ教徒のシュテットルがある一大中心地であった。およそ100年ほど前キシナウの人口の50%以上がユダヤ人だった。同時期に建設されたモルドバの博物館は当時の住民比率を反映してか中東的建造物をモチーフにしたデザインになっており、同国の多民族性を表現したものだという。ロシア及びソ連による統治が長かったため、ルーマニアとは異なりロシア風の姓を名乗っているモルドバ人が多い。
モルドバ語(基本的にルーマニア語の方言であり多少の発音の差がある程度で相互理解には全く不自由はない。詳しくはモルドバ語に記載)。その外、ロシア語、ガガウズ語なども使用されている。英語はキシナウをのぞいてほぼ通じない。
同国の独立運動は、モスクワでの8月革命に先駆けて、モルドバ共和国の公用語をルーマニア語に戻す運動から発端している。過去の歴史において異文化による占領を多く経験してきた同国にとって、自らのアイデンティティーを確立する要素は非常に少なかった。長い間のソビエト連邦によるルーマニア文化排斥政策にも関わらず、奇しくも日常的に使用する言葉としてモルドバ語が生き残ったことが、ルーマニア民族であるという主張を裏付ける説得要因であったが為に、必然的にソビエトからの独立を突き動かす原動力となっていったのではないかという見解が存在する。80年代後半には当時の歴史学者、作家他知識人達が主導して言語奪回運動を組織し、当時モルドバ・ソビエト議会議長だったミルチャ・スネグルを巻き込み、公用語をルーマニア語と宣言した。(独立宣言においては公用語はルーマニア語と表記されている。同時に当時はルーマニア国家がモルドバ国家になり、国旗もルーマニアの国旗が使われた。)しかし後に作成された憲法には、1条13項に於いて、モルドバ共和国の公用語はMoldovan(モルドバ語)であり、その表記はラテンアルファベットを使う。と記述されることになる。
8月31日は"Limba Noastr?(我らが言語)"と呼ばれる祝日で、1989年の同日に公用語をルーマニア語にし、キリル文字表記から本来のラテン文字表記に変更されたことを毎年祝賀している。首都キシナウにはこれにちなんだ8月31日通りが存在する。
モルドバ共産党党首のウラディミール・ボロニンが大統領に就任して以降、この言語の日の存続が危うくなっている。2006年に、共産党政権は、17年間にわたって伝統的にLimba Noastr?の日が祝賀されていた広場においての、公式イベントの実施を禁止した。翌年2007年にはLimba Noastr?の日を解体する計画が立てられている、という噂も流れている。 モルドバの独立とモルドバ語の再獲得とを切り離せない同国において、この共産党の政策は歴史の逆行と同等であり、初代大統領スネグルを含め、様々な懸念が各所から噴出している。
2006年3月に、ロシアがモルドバのワインに対して禁輸政策を打ち出し経済制裁を敷いたが、この交渉の際に禁輸政策他経済制裁を解く対価として、ロシア側のウラジーミル・プーチン大統領がモルドバ国内におけるロシア語の擁護をボロニン大統領に要請したという噂が立つほどに、この国における言語の在り方は繊細な問題であると言える。
共産党政府は、ルーマニア歴史過程をロシア寄りの歴史解釈を教える統一歴史過程に置き変える政策を打ち出して、学校におけるロシア語教科のウェイトを増やした他、ルーマニア語・フランス語学校などモルドバ内に住む他言語住民の学校名をモルドバ語・フランス語学校に変えるなどといった政策を展開させ、議論のみならず多数住民との間の対立を深めている。
モルドバ人にとってルーマニア語は誇りであるとされ、その響きの美しさが他言語を話す者をも魅了すると自負することが多い。また、モルドバを代表するグループだったO-ZONEも「Nu Ma Las De Limba Noastr?」(僕らの言葉は渡さない)を歌っている。
正教会が主であり、主にルーマニア正教会と、ロシア正教会系のモルドバ正教会の2者が並存している。1992年、ロシア正教会のキシナウ府主教区が自治権を得て、自治教会としてのモルドバ正教会が成立した。モルドバ正教会は、ルーマニア正教会のベッサラビア府主教区と教区が重複しており、両者の関係は良好ではない。古儀式派の信徒も居住している。
陸軍と空軍があり、旧ソビエト連邦軍を引き継いで結成された。国軍は、3個歩兵旅団、1個砲兵旅団、1個対空ミサイル旅団、1個混成航空団から成り、約1万人。
1992年10月30日には、ヨーロッパ通常戦力条約を批准、1994年10月には核拡散防止条約に加入した。また、1994年3月16日には、NATOのPFP加盟国となっている。
イラクにおけるアメリカの軍事作戦にも参加している。