モイゼス・アルー
Mois?s Alou
ニューヨーク・メッツ No.18
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ジョージア州アトランタ
生年月日1966年7月3日(42歳)
身長
体重6' 3" =約190.5cm
230 lb =約104.3kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置外野手
プロ入り1986年 ドラフト1巡目
初出場1990年7月26日
年俸$7,500,000 ⇒[1](2008年)
経歴
ピッツバーグ・パイレーツ(1990年)
モントリオール・エクスポズ(1990年 - 1996年)
フロリダ・マーリンズ(1997年)
ヒューストン・アストロズ(1998年 - 2001年)
シカゴ・カブス(2002年 - 2004年)
サンフランシスコ・ジャイアンツ(2005年 - 2006年)
ニューヨーク・メッツ(2007年 - )
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
モイゼス・アルー(Mois?s Rojas Alou, 1966年7月3日 - )はメジャーリーグ、ニューヨーク・メッツの右投げ右打ちの外野手。アメリカ合衆国ジョージア州生まれ。モイセズ・アルーとも。
ポジションはレフトで、ライトでのプレー経験もある。
目次
1 来歴
2 アルー一家はベースボールファミリー
3 獲得タイトル・記録
4 年度別打撃成績
5 関連項目
6 外部リンク
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アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身。父親のフェリペ・アルーも通算2101安打の成績を残したメジャーリーグの名選手で、サンフランシスコ・ジャイアンツの監督などを務めた。そしておじのマティとヘススも通算1000安打以上を記録している元メジャーリーガーで、モイゼスは野球エリートに生まれた。
1986年にピッツバーグ・パイレーツにドラフト指名され、入団。しかし、入団1年目の1987年 - 1989年までの3年間はメジャーでの出場機会はなかった。ようやく、メジャーに昇格したのは1990年のことだった。その年はパイレーツで試合に出場したが、シーズン中にモントリオール・エクスポズへと移籍する事になった。そこでは14試合に出場し、3安打をマークした。しかし、メジャーへの昇格に時間がかかった割に、好成績をマーク出来なかった。
1992年、父親のフェリペがエクスポズの監督に就任。その影響もあったのだろうか、その年は115試合に出場し、打率.282、本塁打9、打点56、盗塁16とまずまずの成績を残した。翌年は更に出場機会が増え、136試合で18本塁打、17盗塁をマーク。打率も少しだけだったが、アップした。翌年は107試合の出場に留まったが打率.339、本塁打22、打点78はいずれも自己ベストの数字となった。翌年も故障の影響で93試合にしか出場出来なかったが、14本塁打を記録するなど、打撃面でのパワーはしっかりと見せ付けている。
翌1996年は久々に143試合と、シーズン通してコンスタントに試合に出場。自己ベストの96打点を叩き出した。フロリダ・マーリンズへ移籍した翌年は打点を115に乗せ、リーグ屈指の打者に成長した。
1998年から2001年まではヒューストン・アストロズでプレー。移籍1年目は絶好調で打率312、本塁打38、打点124を記録。3割30本100打点をクリアした。しかし、怪我で1999年を1年通して丸々棒に振ってしまうが、翌2000年は見事に復活し、126試合の出場で30本塁打、114打点を記録。また、その年に記録した打率.355は1994年の.339を上回る自己ベストの数字であった。翌年も本塁打こそ27本に留まったものの、108打点、打率.331を記録した。
2002年にシカゴ・カブスに移籍。この頃から衰えが目立つようになってきて、打率.275、15本塁打、61打点と成績が急落してしまった。翌2003年は、ワールドシリーズまであと一歩と迫るが、1997年に所属したマーリンズの前に敗れる。終盤、アルーがファウルフライをキャッチしようとしていたのを、あろうことか地元リグリーのカブスファンに妨害され(もちろん悪意はなくうっかり手出し)、流れが変わり、チームは念願のワールドシリーズ進出を逃した(ビリー・ゴートの呪い)。
復調した2004年は155試合に出場。打率は.293まで上がり、打点も106打点を記録。何より凄かったのは、38歳という年齢で自己ベストの39本塁打を記録した事だった。