2004年10月4日、メリーランド大学はワシントンD.C.を中心とする首都環状高速キャピタル・ベルトウェイの内側で最大のリサーチパークを創造するという意欲的な試みのもと、新たに150エーカー(607,000 m?)の敷地を拡張した。 ⇒"M Square"と呼ばれるこのリサーチパークは、画期的な研究と優れた大学教育を一体化するという同大の目標を具現化するものである。また、現在キャンパス内に新たに生命科学研究所を建設中であるが、これもまた同大のライフサイエンス分野の研究を強化し、既に定評のある州内バイオテクノロジー業界を更に促進せしめるものである。
メリーランド大学はワシントンD.C.にほど近く、この立地の良さを活かして各分野のリサーチ・研究において政府機関と強いパートナーシップを育んでいる。これら良好な関係により、同大学は下記の事例を含む数多くのリサーチの機会に恵まれている。
1994年にアメリカ国立公文書記録管理局(NARA)がキャンパスに隣接して新館を建設して以来、とくに図書館学、歴史学、政策科学といった公文書の保存・修復・利用に関わる部門におけるNARAとの協力研究
占領下の日本における出版物を保管したプランゲ文庫
全米における鳥インフルエンザの感染と予防に関する研究の主導
米国土安全保障省からの助成の下、テロリズムの行動的・社会的基盤を研究するリサーチセンターを創設
2005年1月初、NASAと共同で宇宙探査機ディープ・インパクトを打上げ。2005年7月4日、当機はテンペル第1彗星に衝撃弾を撃ち込んで生じたクレーターと塵を観測し、彗星の核を本機及び衝撃弾に搭載されたカメラで撮影
競技画像:P 630729 661123.jpgAthletics logo containing the Terrapin mascot
メリーランド大学は学問レベルもトップクラスである一方、スポーツの強豪としても有名。同大学のスポーツチームはTerrapins(テラピンズ。メリーランド州の爬虫類が、diamondback terrapinという亀であることに由来している)、または略して"Terps"(タープス。こちらの方が一般的)と呼ばれていて、学生もコミュニティもその戦績に一喜一憂する。 Terpsは全米大学体育協会のディビジョン-Iカンファレンスのひとつであるアトランティック・コースト・カンファレンス(ACC)に参加している。チームカラーは黒・金・赤・白の四色。 メリーランド州旗にも同じ四つの色が使われているのだが、チームカラーとしては少々異なった由来がある。1940年代後期、フットボールチームのコーチとしてクラーク・ショーネシーをスタンフォード大学より招聘した当時、"Terps"は既に数十年に渡って黒と金をチームカラーにしていた。ショーネシーは就任と共にスタンフォードの赤と白のユニフォームを持ち込み、大学側はすぐにこれら四色をチームユニフォームで使用することを認めた。
2000年以降、メリーランド大のアスレチックプログラムは全米で名を馳せており、大学収益の向上に一役買っている。フットボールチームは、2000年11月に同校1970年の 卒業生であるRalph Friedgenがヘッドコーチに就任して以来、幾つかの成功を収めてきている。"The Fridge"は就任後の3年の間にしてTerrapinsフットボールチームをドラマチックに復興させた。チームは31の勝数を上げ、ボウルチャンピオンシップシリーズ(BCS)のオレンジボウルに進出を果たした。ピーチボウルでは強豪テネシー大学を撃破、またゲーターボウルでは古くからのライバルであるウエストバージニア大学を破り、3年連続でカンファレンス内TOP3の成績を収めた。そして1992年のフロリダ州立大学ACC加入以来の唯一完全と言えるACCレギュラーシーズンのタイトルを得た。
このようにフットボールは成功を収めているが、やはりメリーランド大で最も人気のあるスポーツは男子バスケットボールであろう。男子バスケットもフットボールと同様に同校卒業生の指導の下にあり、1968年卒のゲイリー・ウイリアムズが監督をしている。ウイリアムズはアメリカン大学、ボストンカレッジ、そしてオハイオ州立大学のチームを成功に導いた後1989年に母校に戻り、Len Biasの死による影響や前任コーチのボブ・ウェイド時に犯したNCAA規則違反といった、いくつかの苦境に立たされていたチームを引継いだ。これら過去の不祥事による、リクルーティング活動上の制裁措置が課せられた条件下で数シーズンを過ごしながらも、ウイリアムズはTerpsをカンファレンス内の強豪であるデューク大学やノースカロライナ大学と互角レベルまで引き上げた。ウイリアムズはメリーランド大を11年連続(1993-2004)でNCAAトーナメントに進出させ(これは全米内で他に4校しか達成していない偉業である)、1996年から2004年の間は8年連続で20勝(以上)を達成した。しかも, トーナメントの準決勝(Sweet Sixteen)に7回出場し,連続して Final Fourに出場している。2002年には, 過去のチャンピオンである ウィスコンシン大学, ケンタッキー大学, コネチカット大学, カンザス大学、インディアナ大学を破るなど難しいトーナメント戦を順調に勝ち抜き,ついに男子バスケットボールで大学初のNCAAタイトルを勝ち取った。 全米でも歴史の浅いチームを率いたウィリアムズは2004年にACCトーナメントで優勝した。これはノースカロライナ大学との準決勝でハーフタイムの時点で19点差を逆転し、決勝では12点差だったデューク大学に対して3分あまりのオーバータイムを経て逆転勝ちという劇的な勝利である。ウィリアムズが勝ち取った500以上の勝利のうち300勝以上がキャンパス内のコール・フィールド・ハウスとコムキャスト・アリーナで勝ち取ったものであり、史上最多勝コーチであるウィリアムズは将来バスケットボール殿堂に入る候補者となるだろうと考えられている。