マルグレーテは、当時王太子だったフレゼリク9世の長女として誕生したが、王位継承予定者ではなかった。王位継承は男子優先制であったデンマークでは、王太子の娘たちは継承順位が低かったのである。しかし、男子を生むことを期待されていたイングリッド王太子妃は、娘たちのあとに子供を授からなかった。この時点では、フレゼリクの弟クヌーズ王子とその息子たちに王位継承がなされるはずであったが、クヌーズ王子よりもフレゼリクと娘たちの国民的人気が非常に高かった。王位継承の変更を求める国民の声が後押しする形で、1953年に行なわれたデンマーク憲法と王位継承法の改定により、女子にも継承権が認められたため、マルグレーテは13歳で法定推定相続人となった。
1958年4月16日、国家評議会の座席を与えられる。父王の不在時には議長を務めた。
ケンブリッジ大学、パリ大学(ソルボンヌ)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学んだ。 オーフス大学( ⇒Aarhus Universitet)にも在籍した。
1967年6月10日、フランスの伯爵家の出身で外交官のアンリ・マリ・ジャン・アンドレ・ド・ラボルドゥ・ド・モンプザ(Henri Marie Jean Andr? de Laborde de Monpezat)と結婚。結婚に際し、アンリには「ヘンリク王子」の名と称号が与えられた。披露宴はフレゼンスボー城で行なわれた。
1972年、父王の死去に伴い女王に即位。国家元首として公務に取り組む。
人物像
デンマーク語を母語とするが、フランス語・スウェーデン語・英語・ドイツ語も堪能である。
身長180cmの長身で、柔道の心得がある。美人で才能豊か、気さくな性格のため人気がある。ヘビースモーカーで、コペンハーゲン市内の書店で立ち読みしていた、訪問先のフェロー諸島で民俗舞踊の輪に飛び入りで加わったなど、エピソードは多い。デザイナーとしても有名。
子女
フレゼリク王太子(1968年 - )
2004年5月、王太子はオーストラリアのタスマニア州出身のメアリー・ドナルドソンと結婚した。
ヨアキム王子(1969年 - )
ヨアキム王子は1995年に5歳年上の香港出身のキャリアウーマン、アレクサンドラ・マンリーと結婚。ヨーロッパ王室で初めてアジア出身の妃を迎えたことで話題になった。しかし、2004年9月16日に別居が王室から発表され、2005年4月8日に離婚した。2008年にフランス人女性と再婚。
関連項目ウィキメディア・コモンズには、 ⇒マルグレーテ2世 に関連するマルチメディアがあります。
マルグレーテ1世 (デンマーク女王)
電撃ネットワーク - 彼等のパフォーマンスを観覧したことがある。
外部リンク
⇒デンマーク王室公式サイト
上位:
カール・ベルナドッテ
⇒en:Carl Johan Bernadotteイギリス王位継承順位
継承順位第 219 位
他の英連邦王国の王位継承権も同様下位:
フレデリク
デンマーク王太子
カテゴリ: デンマークの君主 | デンマーク王室 | グリュックスブルク家 | ガーター勲章 | 1940年生
更新日時:2008年8月18日(月)13:10
取得日時:2008/08/20 19:45