小沢艦隊は20日の夜明け前から活動を再開し、4時40分に索敵機を発進させるが、米機動部隊を発見することはできなかった。12時、小沢中将は旗艦を羽黒から瑞鶴に移した。米第38任務部隊は15時40分に日本機動部隊を発見し、16時過ぎになってその戦力を確認、マーク・ミッチャー中将は日本機動部隊までの距離が米艦載機の航続可能範囲の限界付近であることや、帰還が夜になってしまうことを覚悟の上で216機(F6F戦闘機85機、SB2C急降下爆撃機51機、SBD急降下爆撃機26機、TBF雷撃機54機)の攻撃隊を出撃させた。16時15分には日本軍側も米艦隊を発見し、17時25分に甲部隊、唯一の空母瑞鶴から7機の雷撃機を発進させ、前衛の栗田中将に夜戦のため東進を命じた。17時30分、米第58任務部隊から発進した攻撃隊が来襲し、零戦が迎撃に向かったが23機が撃墜され、空母飛鷹が沈没、他の空母瑞鶴、隼鷹、千代田も損傷してしまった。米攻撃隊は20機が撃墜され、帰還した機のうちの80機が着艦に失敗した。小沢中将は残存空母を率いて夜戦のため東進を続けたが、19時40分頃、連合艦隊長官豊田副武大将から離脱が命じられ、21日、小沢中将は「あ号作戦」を中止し撤退した。
この戦いで機動部隊を率いる小沢治三郎中将は、日本海軍の艦載機の特徴である航続距離の長さを活かし、アメリカ艦載機の作戦圏外から攻撃部隊を送り出すと言う独自のアウトレンジ戦法を採用した。しかしながら、レーダーを活用した戦闘機の迎撃、また近接信管(VT信管またはVTヒューズ)を使用した対空砲弾幕の増強などにより、日本海軍の攻撃隊は大半が阻止され次々と撃墜された。アメリカ軍はそのあまりの一方的な撃墜劇に対し、日本の航空機がよたよたと逃げ回る姿を七面鳥に例え、それを片っ端から撃ち落していくことを「マリアナの七面鳥撃ち」と呼んだ。また、日本海軍の空母が相手との距離を縮めないように同じ海域をウロウロしたため次々と敵潜水艦の餌食となってしまった。
日本側はこの戦いで大鳳、翔鶴、飛鷹など空母3隻を失った他、参加航空兵力の3/4以上となる378機もの航空機を失い、第一機動艦隊は海上航空戦力としての能力をほぼ喪失した。この海戦によって日本の連合艦隊、特に空母部隊が壊滅的な損害を受け、二度と機動部隊中心の作戦を行う事ができなくなった。又、この後絶対国防圏の要ともいうべきサイパン島を失ったことで、日本の勝利、あるいは有利な形で講和を結ぶ芽は完全に摘み取られた(敗戦を決定的にしたのは資源地帯とのシーレーンを切断された比島決戦である)。
これまでの幾多の戦いで消耗を重ねてきた日本海軍機動部隊であったが、マリアナ沖海戦での大敗北は機動部隊としての戦闘能力を喪失するほどのものであった。ここまで一方的な敗戦を喫することになったのには多くの要因が絡んでいるが、ここでは一般に広く流布している通説について紹介する。
日本側搭乗員の技量低下
上記のように、開戦当初からの様々な戦いによって熟練搭乗員は激減、その養成もアメリカに比べて大きく遅れをとっていた。意外にも本海戦に参加した搭乗員の平均飛行時間は、開戦時と比べても遜色ないレベルであった。しかし前年のろ号作戦などで一航戦、二航戦は陸上基地配備で航空戦を展開し消耗、再建時に発着艦経験の無い搭乗員の飛行訓練に時間をとられ、戦闘訓練が不足していた。また技量にも差があり、一部の搭乗員には空母からの離着艦すら困難な者もいた。特に、長い航続距離を必要とするアウトレンジ戦法は未熟な搭乗員には酷なものであった。そのため、敵艦隊と遭遇せずとも未帰還となった機体が多かった。
航空機の性能差
日本海軍の主力戦闘機零戦は、開戦当初こそ無敵の強さを誇ったものの、極限まで軽量化された機体であったため、搭乗員の生命を軽視し防弾装備は殆どされておらず、ひとたび攻撃される側にまわると脆さを露呈することとなった。また大出力エンジンの開発に欧米に大きな遅れがあったため、改良型が開発されても大きな性能の向上は望めなかった。次世代機である烈風の開発も遅れたため、この時期でも主力であり続けた零戦だったが、開戦当初のF4F ワイルドキャットに代わり米海軍の主力となっていた2000馬力級のF6F ヘルキャットに比べると機体性能において大きく水を空けられてしまっていた。艦上攻撃機である天山は実戦配備が遅く、米軍のTBF アヴェンジャーと比べて速度や航続距離では多少勝っていたが、防弾面では他の海軍機の例に漏れず貧弱であった。このように搭乗員の質のみならず、航空機の性能面でも日本はアメリカに遅れをとっていたのである。VT信管(MARK53型信管)
アメリカ艦隊の防空システムの進化
この時期になると、アメリカ海軍機動部隊はレーダーと航空管制を用いた防空システムを構築していた。このため日本海軍機の接近は予め察知され、アメリカ軍戦闘機は最も迎撃に適した場所に誘導された上で日本の攻撃隊を待ち受けることができた。また1943年の末頃から、対空砲弾が外れても目標物が近くにいれば自動的に砲弾が炸裂するVT信管を高角砲弾に導入した。この結果、従来の砲弾に比べて対空砲火の効果は数倍に跳ね上がった[3]。
物量の差
そもそも航空戦力に決定的な差があった。日本側428機に対しアメリカ側901機と倍以上、しかも戦闘機だけで445機(数値については諸説あり)もあり、日本側が正面から決戦を挑める状況ではなかった。
NHKで放送された『証言記録 兵士たちの戦争「マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法」』でも言及されていたが、広い太平洋の真っ只中で何の目印もない状況で、出撃した航空部隊が母艦に戻ってくることは、敵を攻撃する以上に難しかったという。特に戦闘爆撃機として出撃した零戦は単座であったため、航法管制をする搭乗員がいないので、独力で戻ってくることはほぼ不可能に近かったといわれる。そのため、アメリカ側に打ち落とされただけでなく、位置がわからず燃料切れで母艦に帰還できなかった航空機も相当数あったようであるが、その実数は不明である。
第一機動艦隊(空母5、小型空母4 搭載機零戦225機、彗星艦爆99機、九九艦爆27機、天山艦攻108機、九七式艦上攻撃機、二式艦上偵察機、498機との説あり)
第三艦隊
司令長官:小沢治三郎中将、参謀長:古村啓蔵少将 旗艦:空母大鳳
本隊・甲部隊
第一航空戦隊(小沢中将直率)
空母:大鳳、翔鶴、瑞鶴
第五戦隊(橋本信太郎少将)重巡:妙高、羽黒
第十戦隊(木村進少将) 軽巡:能代