マクドネル・ダグラス (McDonnell Douglas) は、かつてのアメリカの大手航空機製造会社である。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 前身
2.2 合併による発足
2.3 DC-10とDC-9スーパー80の成功
2.4 軍用機分野での成功
2.5 MD-11とMD-90シリーズ
2.6 MD-12
2.7 民間機の販売不振と冷戦終結
2.8 ボーイングによる合併
3 主な製品
3.1 民間機
3.2 軍用機
4 関連項目
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民間や軍用の数多くの著名な飛行機を生産している。ジェームズ・スミス・マクドネル(James Smith McDonnell)設立のマクドネル・エアクラフト社とドナルド・ウィルズ・ダグラス(Donald Wills Douglas)設立のダグラス・エアクラフト社の合併により1967年に誕生した。カリフォルニア州ロングビーチとミズーリ州セントルイスに製造工場がある。1997年にボーイング社に吸収合併された。
前身Dutch Dakota AssociationのDC-4日本航空のDC-8-53型機
マクドネル・ダグラスの前身はジェームズ・スミス・マクドネル(James Smith McDonnell)とドナルド・ウィルズ・ダグラス(Donald Wills Douglas)が設立した航空機メーカにある。両者ともマサチューセッツ工科大学出身であり、グレン・マーチンに勤務していた。ダグラスはグレン・マーチンでチーフエンジニアを務めていたが、1920年にマーチンを去ってロサンゼルスにデービス・ダグラス社を設立した。1921年には共同出資者から事業を買い取って社名をダグラス・エアクラフトに変更する。
マクドネルは1928年にウィスコンシン州ミルウォーキーに J.S. マクドネル・アンド・アソシエーツを設立している。マクドネルは自家用小型飛行機の生産を考えていたが、1929年の恐慌で計画は破綻して会社は倒産した。その後マーチンで働くこととなったが、1938年にマーチンを去ってミズーリ州セントルイス近郊にマクドネル・エアクラフトを設立して再起を図った。
第二次世界大戦の需要でダグラス社は成長する。1942年から1945年までに3万機近くの航空機を生産し、従業員は16万人に膨れ上がった。大戦中のダグラス機には C-47 スカイトレイン(DC-3 の原型)、DB-7 ボストン(A-20 ハボック)、SBD ドーントレス、A-26 インベーダー、DC-4などがある。またアメリカ陸軍航空軍のシンクタンクも設立し、これは後にランド研究所となる。戦後はダグラスもマクドネルも政府受注の終結と余剰機体の処理に苦しみ、特にダグラスは10万人近くを人員削減した。
戦後もダグラスは新型機の開発を続ける。1946年には傑作機 DC-6 を、1953年には最後のレシプロ旅客機となる DC-7 を送り出す。ジェット推進方式にも乗り出して1948年には F3D スカイナイト、1951年にはより本格的なジェット機 F4D スカイレイを海軍向けに製造した。
同時に民間ジェット機の製造も始め、1958年にはボーイング707に対抗してDC-8の製造を開始し、その後中短距離用ジェット機のDC-9の製造も開始する。
マクドネルもジェット機の開発を進めていたが、当時まだ小さな会社だったため他社よりも革新的なデザインが可能となり傑作機 FH-1 ファントムが生まれ、続く F2H バンシー、F3H デーモンとともに海軍御用達の戦闘機メーカーとなった。朝鮮戦争をきっかけにマクドネルは主要戦闘機メーカーとしての地位を得て、1958年には有名な F-4 ファントムIIを送り出した。
ミサイルという新しい分野においても両社は積極的だった。ダグラスは空対空ロケット弾やミサイルを製造していたが、1956年のナイキ計画で総合迎撃システムを開発し、またスカイボルト ALBM 及びPGM-17 Thor IRBMの主契約者となった。