マカオ
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第二次世界大戦

その後清に代わり中国大陸を支配した中華民国と日本との間に1937年より起きた日中戦争においては、ポルトガル領であることから戦火とは遠い存在であった。

また、その後1941年に起きた第二次世界大戦においてポルトガルは中立国となり、当時東南アジア全体を占領した日本とは交戦状態に入らなかったため、日本軍はマカオを占領せずに駐在武官を置くに止め中立港として機能した。このため、戦火を逃れようとした大量の難民が中国大陸から流れ込んだ。


中華人民共和国の影響

その後、1949年にソ連の支援を受け中国国民党政府との国共内戦に勝利した毛沢東率いる中国共産党が中華人民共和国を設立し、中国大陸を統治するようになったものの、マカオは依然としてポルトガルの統治が続いた。

しかし、文化大革命さなかの1966年に起きた、中国共産党系小学校増築のいざこざをめぐって起きた中国共産党系住民による暴動鎮圧の際、ポルトガル軍警察が発砲し多数の住民を射殺したため、これに怒った中華人民共和国政府が人民解放軍による軍事侵攻をほのめかしながらポルトガル政府に対して事件の謝罪と以後の中国系住民による統治参加を要求した。これに対して、当時国力が低下し、軍事対立が起きた場合全てを失うと判断したポルトガル政府はそれらの要求をほぼ全面的に呑み、以後中華人民共和国の影響力が増すことになる。

その後、強烈な反共産主義者であったアントニオ・サラザール首相による独裁政権下にあったポルトガル政府が中国国民党率いる中華民国と国交があったのにも関わらず、その植民地であるマカオが単独で中華民国と断交するなど、事実上中華人民共和国政府の間接的統制下に入る。


返還

オテロ・デ・カルバーリョ大尉率いる国軍左派による1974年4月25日カーネーション革命の後に、ポルトガル政府は民主化され当時所有していた全ての海外領土を放棄する方針を採ることになった。1976年、ポルトガル政府はマカオを特別領として再編成し行政上及び経済上の自治を多くの点で認めた。マカオ市内に残るポルトガル時代の建築

第二次世界大戦後に国力が低下しており、しかも自治が進んだマカオを植民地として統治することに興味を持たなくなったポルトガル政府は即時移譲(返還)を望んだ。しかし、同じく植民地下にある香港市民の動揺を恐れた中華人民共和国政府はマカオの主権を主張しつつ、当分の間のポルトガルによる統治を希望したと言われている。つまり、主権と統治権(行政管理権)を分離したのである。

その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印し、マカオの行政管理権は1999年12月20日に中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになった。

返還後50年間は現状の保全が取り決められているため、現在もポルトガル統治時の法律の多くがそのまま適用されている。また、これに伴いポルトガル語は中国語と並ぶ公用語とされ、道路表示や看板など、全ての表示にはポルトガル語と中国語の表記が義務付けられているものの、少数のポルトガル系住人を除くほとんどのマカオ住民の使用する言語は広東語である。


地理1990年代のマカオの地図現在のマカオの地図

南シナ海に面するマカオは、中心地となる半島部と、タイパ島とコロアネ島の間を埋め立ててつなげた島からなる。半島部は、東には珠江(パールリバー)があり、西には西江があり、中華人民共和国の本土の珠海経済特区と隣接している。

1970年代以降に大規模な埋立が行われたため、マカオの地形は概ね平坦であるが、多数ある険しい丘が、元の地形の名残をとどめている。マカオ半島は元々島だったが、徐々に砂州が伸びてゆき、狭い地峡になった。

マカオは高度に密集した都市であり、耕地、牧場、森や林はなく、実質的に農業は殆ど行われていない。このために、マカオの人々は伝統的に海に目を向けて生計を立ててきた。


行政地域

マカオには2つの行政上の下部地域がある。

北区:澳門半島(マカオ半島)

離島区:タイパ島(?仔島)、コロアネ島(路環島)、両島をつなぐ埋立地コタイ(路?)


人口

詳細はマカオの人口統計を参照

人口はおよそ52万人(2007年3月)。マカオを1つの「地域」とみれば、マカオは世界でもっとも人口密度が高い国・地域である。1平方キロメートル当たり実に約18,000人が住んでいる。ポルトガル語と中国語併記の道路表示


人種構成

マカオの人口は95%が華人であり、最も多いのが広東人で、客家人もおり、いずれも近隣の広東省から来ている。残りはポルトガル人や、マカイエンサと呼ばれる華人とポルトガル人の混血である。


公用語

公用語はポルトガル植民地時代からポルトガル語広東語の2ヶ国語と定められ、官報を始めとする各種公布や注意表示、道路標示などの公的表示にはほぼ全て2ヶ国語での表記が義務付けられている。また市中の看板における表記などは基本的に2ヶ国語の表記が行われている。

しかし居住者は一般に広東語を話し、ポルトガル語はポルトガル人とマカイエンサを除けば殆ど使用されていない。また主な観光地では英語北京語も通じる。


政治セナド広場にある民政総署

詳細はマカオの政治を参照

マカオの行政長官は、各業界団体から選出された委員からなる選挙委員会が選んだ者を、中華人民共和国の中央政府が任命する。行政長官は7〜11人からなる行政会と呼ばれる内閣を組織する(誤訳の可能性)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen