詳細はポルトガル軍を参照
ポルトガルの軍隊は、正式にはポルトガル国軍(Forcas Armadas Portuguesas、FAP)と呼ばれる。
2005年時点で、ポルトガル陸軍22,400人、ポルトガル海軍14,104人、ポルトガル空軍8,900人。他に準軍事組織として共和国国家親衛隊(Guarda Nacional Republicana、GNR)6個「旅団」(儀仗任務、地方警察、交通警察、税関を担当)を擁している。
2004年11月に徴兵制が廃止され、志願兵制度が導入された。
詳細はポルトガルの国民を参照ポルトガル語圏諸国を表す地図ジェロニモス修道院コインブラ大学
ポルトガルの国民の大部分はポルトガル人である。ポルトガル人は先住民であったイベリア人に、ケルト人、ラテン人、ゲルマン人(西ゴート族、スエビ族、ブーリ族)、ユダヤ人、ムーア人(大多数はベルベル人で一部はアラブ人)が混血した民族である。
かつてポルトガルは移民送出国であり、特にサンパウロ州でのコーヒー栽培のために、奴隷に代わる労働力を欲していたブラジルには1881年から1931年までの期間にかけて実に185万人が移住した。ブラジル以外にもベネスエラ、アルゼンチン、ウルグアイなどのラテンアメリカ諸国に多数のポルトガル人が移住した。また、アンゴラやモサンビークなど、アフリカのポルトガル植民地にも多くのポルトガル人が移住した。1960年代から1970年代にかけてはフランスやスイスなど、西ヨーロッパの先進諸国への移民が増えた。
しかし、1973年のオイル・ショックによる先進国での不況や、カーネーション革命による植民地の放棄により多くのポルトガル人が本国に帰国し、代わりにカナダ、アメリカ合衆国への移住が行われるようになった。
このように移民送出国だったポルトガルも、近年ではブラジルをはじめ、ウクライナ、ルーマニア、カーボ・ヴェルデ、アンゴラ、ロシア、ギニア・ビサウなど、旧植民地や東ヨーロッパからの移民が流入している。
言語はインド・ヨーロッパ語族ロマンス語系のポルトガル語(イベリア・ポルトガル語)[2]が公用語であり、国内のほとんどの地域で使われている。ヨーロッパにおいて、一国家一言語というポルトガルのあり方は非常に稀なものである。また、ポルトガルの真北に位置するスペイン北西部のガリシア地方のガリシア語はポルトガル語に非常に近い言葉である。
北東部の町ミランダ・ド・ドウロでは、ミランダ語も公用語として認められている。
宗教はローマ・カトリックが国民の97%を占める。ファティマはマリア出現の地として世界的に有名な巡礼地となった。
詳細はポルトガルの教育を参照
6歳から15歳までが義務教育期間であり、6歳から9歳までの初等教育、10歳から11歳まで、12歳から14歳までの二期に分けられる前期中等教育となっている。前期中等教育を終えると15歳から18歳までが後期中等教育であり、後期中等教育を終えると高等教育への道が開ける。
主な高等教育機関としてはコインブラ大学(1290年)、ポルト大学(1911年)、リスボン大学(1911年)、リスボン工科大学(1930年)、ポルトガル・カトリカ大学(1966年)などが挙げられる。
2001年時点の識字率は92.5%(男性95.0%、女性90.3%)。ヨーロッパ諸国の中ではマルタに次いでセルビア・モンテネグロと並ぶ低さだった。なお、第一次世界大戦直前の識字率は約25%だった。
詳細はポルトガルの文化を参照ポルトワインポルトガルのフェジョアーダアマリア・ロドリゲスルイス・デ・カモンイス
ポルトガルの文化は、イベリア半島にかつて居住していたケルト人、ローマ人、イスラム教徒等の影響を受けながら、カトリックを基盤にポルトガル人によって育まれてきた。