ボーイング
話題の脳内チェックを
芸能人でやってみる!

[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]


第二次世界大戦

1939年に勃発、1941年にアメリカも参戦した第二次世界大戦では、従来主力爆撃機とされていた双発機の能力では不十分であることが判明し、B-17がヨーロッパ戦線における米軍の主力爆撃機として大量に生産・運用された。大量の爆弾を搭載し、長距離を移動できる大型爆撃機は、B-17によって戦略爆撃機の確固たる地位を築いた。そしてボーイング社は、B-17で大型爆撃機メーカーとして名を馳せた。続いて当時の「超」大型爆撃機であるモデル345 B-29 スーパーフォートレスは、他企業の工場まで稼動させるほどの大量生産を行い、長距離侵攻能力を生かして日本本土への爆撃に使用された。また、エノラ・ゲイボックスカーの2機により世界で唯一、実戦で広島長崎原子爆弾を投下した機種となった。


第二次世界大戦後

軍用機部門では、大型爆撃機メーカーとして後退翼ジェット爆撃機モデル450 B-47(初飛行1947年)と後継機モデル464 B-52 ストラトフォートレス(初飛行1952年)を開発生産した。旅客機分野ではB-29の主翼尾翼を流用した豪華旅客機ボーイング377 ストラトクルーザー1947年に開発したが、経済性でライバルに劣り56機しか売れなかった。


大型ジェット機の開発367-80

当時、旅客機の主流はレシプロエンジンであり、ジェット機の採用には航空会社も消極的であったが、ボーイング社は早晩ジェットエンジン装備の本格的旅客機の需要が高まると予測し、1952年に自社資金1600万ドルを投じて開発の開始が決定された。当時、アメリカ空軍では前述のB-47、B-52のほかにもコンベアB-58 ハスラーが開発中であり、後にXB-70超音速爆撃機の計画も進んでおり、これらボマーフリートが縦横に活躍するためには、当時の主力空中給油機であるKB-29/KB-50/KC-97といったB-29をベースとする改造機では性能不足、数量不足になることが明白であり、1953年にはアメリカ空軍より「800機のジェット給油機が必要になる」との見通しも発表されていた。

ボーイングはこの機体をジェット機であることを隠蔽するため、開発中はC-97(モデル367)の改良であると装った。これの80番目の設計案すなわち「ダッシュ80」が採用され、試作機の製作に取り掛かった。ダッシュ80(367-80)は1954年5月にロールアウトし、同年7月に初飛行したが、アメリカ空軍は同じ年の5月に、新型ジェット空中給油/輸送機の要求仕様を発表していた。ここでライバルに圧倒的優位に立っていたボーイングの案は、8月にモデル717 KC-135 ストラトタンカーとして採用が決定し、10月に最初の生産型29機を受注している。

367-80を元に旅客機として再設計した民間型ボーイング707の最初の発注はパン・アメリカン航空より1955年に行われ、以後従来のレシプロ旅客機の2倍の速度で2倍の旅客数(150-200人)を運ぶことができる革新的な機体であり、またボーイング初のジェット旅客機となった。旅客機のほか早期警戒管制機E-3 セントリーなどのベースともなった。

軍用型、民間型ともに始祖となる試作機ダッシュ80は、1972年スミソニアン航空宇宙博物館に寄贈されていたが、1990年にボーイングに送り返され、飛行可能な状態にレストアされた。


旅客機の雄

ボーイング707は高速を生かして長距離国際線用に使用され、一般人の海外旅行をより容易にすることに役立った。続いて1963年に中距離用のジェット旅客機ボーイング727を開発した。この機体は三重隙間フラップ等の強力な高揚力装置を装備して離着陸性能を改善し、中規模空港でも運用が出来るようにした。この結果、それまでバイカウント等のターボプロップ機が運航していた中距離路線にもジェット機が進出するようになった。さらに、より小型の短距離機ボーイング737を開発して、航空輸送のジェット化を著しく推し進めた。ボーイング747

ボーイング747(ジャンボジェット:4発、350-550人乗り)は、当初1963年の米空軍のCX-HLS次期主力輸送機計画のために開発された大型輸送機だった。ロッキード社との競争に敗北した結果、将来の国際線(長距離飛行)主力機としてのパンアメリカン航空(パンナム)の開発要請にこれを転用し、旅客機としては1969年に初飛行した。一部二階建てになっているのは、1階全てを荷物空間とし、機首のハッチを上げることで戦車を直接乗せ得るようにした空軍輸送機の設計時の名残である。747は当初エンジンの出力不足から設計時の速度性能が得られないため、完全な軽量化を行い就航させた。後にこのことがエンジンの換装、機首を始め各部の補強をしなければならくさせた。当時としてはあまりに巨大だったため、完成後は航空評論家からは空席だらけの機体として酷評された。しかし、パンナムが747を正式採用すると、日本航空などの他の大手国際線航空会社も経済性に注目して導入した。航空会社は空席を少しでも減らすため、思い切った料金値下げに踏み切り、一般人が気軽に飛行機に乗れる、バスのような飛行機、エアバス時代が訪れた。747は短距離型、経済型、荷物専用機、大型化など次々に改修改良され、現在も同社の有力機である。


国際協力体制

747開発成功以来、ボーイングが旅客機市場を席巻する中で、欧米のライバル社もジェット旅客機開発に取り組んだものの、技術は日々高度化し、開発費は高騰するばかりであった。やがて開発費の重みに耐え切れないメーカーは、次々に独自の旅客機計画を断念し、国際的な協力体制を敷き始める。これが、ヨーロッパ西)の多国籍企業エアバス設立の要因である。


登録後3分でアエル!!
最速出会セレブマップ

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:54 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki