ボーイング707の開発当時、日本で唯一の国際線運行会社であった日本航空は、他社に負けじとコメット Mk.1 を発注したものの、連続事故の発生により発注をキャンセルしていた。その後707ではなく、これまで関係が深かったダグラスが開発中のDC-8を1955年に正式発注、1960年8月12日から太平洋横断路線に就航させた。ルフトハンザドイツ航空のボーイング707型機TMAレバノン航空のボーイング707F型機
しかし、ライバルのパンアメリカン航空が1959年9月7日に707を太平洋横断路線に就航させてから、日本航空がDC-8を導入するまでに1年以上もの開きがあったため、その間旧式なプロペラ機であるDC-7Cを使い続けた日本航空は、利用客が激減し経営上打撃を受けた。
国内線でも全日空がターボプロップ機のヴィッカース・バイカウントを導入した後は、プロペラ機で苦戦を強いられたため、1961年に中距離国際線と国内線用機として、当時叩き売り状態でほぼ即納可能なCV880に手を出したものの、信頼性が低い上に中途半端なキャパシティのために乗客数の急増に対処できなかった。その為、日本航空は国内線と国際線の兼用ができるダグラスDC-8を大量採用し、しかも国内線のみ運航の航空会社である全日空は、国際線用の機材であるボーイング707を採用することはなかったため、ボーイング707を採用する航空会社は現れなかった。
その様な中で、1980年代にミネベア傘下のミネベア航空が唯一、元エールフランスの707中古機を部品輸送用および社員運送用に購入して東南アジア?日本間を不定期自社便運行したが、その後老朽化のためにマクドネル・ダグラスDC10-30CFに置き換えられた。
日本の航空会社が707を導入しなかった理由のとして、旅客機としての導入実績がないボーイング機に対する信頼性がなかったことや、第二次世界大戦で日本を焦土と化したB29の「ボーイング」という名前に対する、国民の拒否反応がまだ非常に強かったことが挙げられている。
パンアメリカン航空以外にも、ノースウエスト航空やヴァリグブラジル航空、キャセイパシフィック航空、ルフトハンザドイツ航空、TMAレバノン航空など、多くの外国航空会社が日本路線に707を就航させた。その中で英国海外航空(BOAC)の707(G-APFE)が1966年3月5日に富士山麓で空中分解し、墜落する事故を起こしている。
関連項目
航空会社
航空事故
南回りヨーロッパ線
ボーイング727
ボーイング747
註^ 「ボーイング社の役員が航空会社の社長や業界の有力者を招待していた船の真上でこれを行い、船の上では機体が完全に裏返しになっていたそうな。それを行ったテストパイロットはその後、社長を始め役員に呼び出され、クビ直前になったそうな。」 参考『ボーイング747を創った男たちーワイドボディの奇跡』クライヴ・アーヴィング:著・手島尚:訳、講談社=2000年11月15日刊 ISBN 9784062104579
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表・話・編・歴ボーイングの旅客機
レシプロ旅客機40A・80・221・247・307・314・377
ジェット旅客機367-80・707/720・717・727・737・747 (-400)・757・767・777
開発中747-8・787
構想Y1・Y3
開発中止2707・7J7・NLA・ソニック・クルーザー
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カテゴリ: 航空スタブ | ボーイング製旅客機
更新日時:2008年8月29日(金)20:18
取得日時:2008/10/05 23:48