エピソード
原型機367-80のデモフライトにおいて、テストパイロットが独断でバレルロールを超低空で敢行し、来賓と一般観衆の頭上を背面飛行してみせ、一同の度胆を抜いた[1]。対するダグラスもDC-8で緩降下中に音速を突破してみせるなど、ライバル意識を燃やした。尚、コメットの試作機も1953年のファーンボロ航空ショーで超低空90度バンクターンを決めており、低翼面加重当時の旅客機の高い機動性と共に、演ずる方も見る方も命懸けだった時代を想起させる。
1964年2月のビートルズ初訪米の際に使用されたパンアメリカン航空のボーイング707は「Clipper Beatles」と特に命名された。
航空機マニアで知られる俳優ジョン・トラボルタの所有機のうちの1つ。2004年には所有するボーイング707を自ら操縦し来日した。
ボーイング707の開発当時、日本で唯一の国際線運行会社であった日本航空は、他社に負けじとコメット Mk.1 を発注したものの、連続事故の発生により発注をキャンセルしていた。その後707ではなく、これまで関係が深かったダグラスが開発中のDC-8を1955年に正式発注、1960年8月12日から太平洋横断路線に就航させた。ルフトハンザドイツ航空のボーイング707型機TMAレバノン航空のボーイング707F型機
しかし、ライバルのパンアメリカン航空が1959年9月7日に707を太平洋横断路線に就航させてから、日本航空がDC-8を導入するまでに1年以上もの開きがあったため、その間旧式なプロペラ機であるDC-7Cを使い続けた日本航空は、利用客が激減し経営上打撃を受けた。
国内線でも全日空がターボプロップ機のヴィッカース・バイカウントを導入した後は、プロペラ機で苦戦を強いられたため、1961年に中距離国際線と国内線用機として、当時叩き売り状態でほぼ即納可能なCV880に手を出したものの、信頼性が低い上に中途半端なキャパシティのために乗客数の急増に対処できなかった。その為、日本航空は国内線と国際線の兼用ができるダグラスDC-8を大量採用し、しかも国内線のみ運航の航空会社である全日空は、国際線用の機材であるボーイング707を採用することはなかったため、ボーイング707を採用する航空会社は現れなかった。
その様な中で、1980年代にミネベア傘下のミネベア航空が唯一、元エールフランスの707中古機を部品輸送用および社員運送用に購入して東南アジア〜日本間を不定期自社便運行したが、その後老朽化のためにマクドネル・ダグラスDC10-30CFに置き換えられた。
日本の航空会社が707を導入しなかった理由のとして、旅客機としての導入実績がないボーイング機に対する信頼性がなかったことや、第二次世界大戦で日本を焦土と化したB29の「ボーイング」という名前に対する、国民の拒否反応がまだ非常に強かったことが挙げられている。
パンアメリカン航空以外にも、ノースウエスト航空やヴァリグブラジル航空、キャセイパシフィック航空、ルフトハンザドイツ航空、TMAレバノン航空など、多くの外国航空会社が日本路線に707を就航させた。