主な観光地としてはティワナクの遺跡や、ティティカカ湖、ウユニ塩原、ポトシの鉱山、チェ・ゲバラの戦死したイゲラなどがあり、南米諸国の中でも特に物価が低いため、ヨーロッパやアメリカ合衆国、日本、韓国といった先進国に加えて、南米諸国からもアルゼンチン、ブラジル、チリなどから多くの観光客がボリビアを訪れている。また、アンデス山脈の高山が各国から登山家を引き寄せている。
国民民族衣装を着るラパスの少女ボリビア人の年齢ピラミッド (2005年)1961年から 2003年までのボリビアの人口増のグラフ
国家統計局 (INE : Instituto Nacional de Estadistica) が発表している2001年の国勢調査(Censo Nacional)の結果によると、人口は8,274,325人、うち女性4,150,475 人、男性4,123,850人。 都市部の人口は5,165,230人、地方の人口は3,109,095人。 人口密度は7.56人/Km2。
ユニセフの発表によると、5歳以下で死亡する子供の比率は77/1,000。1歳以下で死亡する子供の比率は60/1,000。 平均寿命は女性64歳、男性61歳、合計63歳。
民族構成はケチュア族が約30%、メスティーソが約30%、アイマラ族が約25%、ヨーロッパ系が約15%、アフリカ系ボリビア人が約0.5%であると見られるが、正式な統計は取られていない。 先住民としては南東部のチャコ地方にはグアラニー族も若干居住しており、数を示すとケチュア人が250万人、アイマラ人が200万人、チキタノ人が18万人、グアラニー人が12万5000人程になる。
メスティーソのうち、伝統的な衣装を身に着けている女性はチョリータと呼ばれる。彼女らの格好はボリビアを特徴づける習俗となっている。
クリオーリョの出身地としては植民地時代からのスペイン人が最も多いが、ドイツ人、アメリカ合衆国人、イタリア人、バスク人、クロアチア人、ロシア人、ポーランド人なども存在している。 全人口の0.5%程であるアフリカ系ボリビア人は元々ブラジルに奴隷としてやってきた人々が移住してきたのが始まりであり、ラパス県の南北ユンガスに最も多い。
言語はスペイン語、ケチュア語、アイマラ語、グアラニー語が公用語である。田舎ではケチュア語、アイマラ語、グアラニー語が用いられているが、スペイン語を全く解さない人は近年少なくなってきている。都市部ではスペイン語以外の言葉を話せない人の方が多い。
信仰の自由を認めたうえでローマ・カトリックを国教に定めている。国民の95%がローマ・カトリックを信仰しているが、近年プロテスタント・福音派が勢力を増している。東部にはメノニータも入植している。
1900年代に日本人移住者が当時起きていたアマゾンのゴム景気に引き寄せられ、ゴム労働者として北部アマゾン地域のリベラルタやトリニダに移住した。 1954年からは主に沖縄県や九州からの移住者がサンタクルス州に移住し、オキナワ移住地やサンフアン・デ・ヤパカニ移住区を開拓した。
2008年2月1日、昨年の11月に成立した新年金法が実施され、無年金者への「尊厳ある年金」の支給が始まった。この政策は、資源主権の確立を通じて様々な社会政策を実施しているベネズエラや無年金救済制度をつくったアルゼンチンなどの経験に学んだものである。財政的裏付けは、天然ガス国有化による国家収入の増大である。60歳以上の無年金者は年2,400ボリビアーノス(約35,500円、最低賃金の4.6か月分)、何らかの国の年金を既に受けている人は1,800ボリビアーノスが支給される。約70万人が受給する見通しである。
文化伝統的なコカ茶。高地で生きるボリビア人にとってコカは必需品であるクリスト・デ・ラ・コンコルディア、コチャバンバ市にある南米最大の救世主像
プレ・インカ期やインカ帝国の文明圏ではケチュアがアイマラを支配する形で一体化は進み、スペイン統治下のペルー副王領やリオ・デ・ラ・プラタ副王領の勢力圏などでもアルト・ペルーと呼ばれ、ペルーとボリビアはほぼひとまとまりの地域として扱われてきたため、現在でも両国は文化的に近い関係にある。
例えば、アンデス地方を特徴づける文化として世界的に有名なのはフォルクローレであるが、その曲調、使用する楽器などはボリビアとペルーでほぼ同じであり、これはアルゼンチン北西部とも共通する。また、スペイン統治時代に広まった伝統的な衣装を着続けるチョリータと呼ばれる女性たちも、両国に共通する特徴的な習俗である。
アンデス地域とアマゾン地域はその気候の大きな違いや町の起こりの経緯の違いにより、互いに文化的な差異を感じているようである。