先コロンブス期の発展
B.C.1500年頃からB.C.250年頃 チリパ文化が栄える。
5世紀から12世紀頃 ティワナク文化が栄える。
12世紀頃から1470年頃 ティティカカ湖沿岸にアイマラ諸王国が栄える。
1470年頃から1532年 アイマラ諸王国がクスコに拠点を置いていた、ケチュア人の皇帝パチャクテクや、トゥパク・インカ・ユパンキの征服によりタワンティンスーユ(インカ帝国)のコリャスーユに編入される。インカ帝国内にてアイマラ諸王国は継続。
スペイン人による征服
1532年 インカ皇帝アタワルパがスペイン人コンキスタドールにより処刑され、インカ帝国崩壊。スペインによる植民地化が始まる。
1535年 フランシスコ・ピサロによりペルー副王領が作られる。また、ディエゴ・デ・アルマグロの遠征軍がアルト・ペルーを探検する。
1538年 ゴンサーロ・ピサロの軍がアルト・ペルーに遠征し、首長アヤビリを降してこの地を植民地化する。
1540年 ラ・プラタ市(後のチュキサカ、チャルカス、スクレ)が建設される。
1545年 ポトシ銀山発見。以降現在のペルーを始めとする諸地域から多くのインディオが鉱山のミタにより、ポトシで強制労働させられることになる。
1548年 アロンソ・デ・メンドーサにより、ティティカカ湖の近くにヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パス市が建設される。
1559年 チャルカス(現スクレ)に聴問庁(アウディエンシア)が設置される。この頃から独立まで現ボリビアの地域は「アルト・ペルー(高地ペルー、上ペルー)」と呼ばれる。
1559年 東部のチャコ地方にサンタ・クルス・デ・ラ・シエラが建設される。
1569年 ペルー副王フランシスコ・デ・トレドの統治が始まる。銀山採掘のためにポトシは人口十万人を超える都市として発展し(当時のロンドンより大きい)、銀採掘のためにミタ制によりかき集められたインディオは、過酷な労働と病気で次々に死んでいった。
18世紀 ポトシの銀が急速に枯渇する。
1776年 アルト・ペルーがペルー副王領からリオ・デ・ラ・プラタ副王領に転入され、以降経済や司法が副王首府のブエノスアイレスに従属することになる。スペイン本国生まれ(ペニンスラール)の少数支配に反対して現地生まれのスペイン人(クリオーリョ)による反抗運動が起こった。
1778年 ブエノスアイレス港が正式に開港し、以降アルト・ペルーの海外貿易がブエノスアイレスを通じて行われるようになる。
1780年 ペルーでトゥパク・アマルー2世が植民地政府に反乱を起こす。
1781年 ペルーのトゥパク・アマルー2世と呼応して、レパルティミエントやミタ制の重い負担の廃止を求めた、アイマラ族 のトゥパク・カタリによる反乱蜂起があったが、これは鎮圧された。鎮圧後、インディオに対する当局の弾圧は強まった。トゥパク・カタリは現在もボリビアの国民的英雄になっている。
解放戦争から独立まで初代ボリビア大統領にして「解放者」、シモン・ボリバル
1809年 ラパスとチュキサカでクリオーリョによる独立運動が起こる(ボリビア最初の独立運動であり、キトと共にラテンアメリカで最も早かった)。
1810年 ラパスで起きていた革命運動は、ペルー副王アバスカルの指導によりすぐに王党派に鎮圧され、革命評議会のペドロ・ドミンゴ・ムリーリョは処刑された。その後リオ・デ・ラ・プラタ連合州が独立派に支援軍を送るがことごとく王党派軍に打ち破られた。
1816年 トゥクマンの議会により、リオ・デ・ラ・プラタ連合州が独立を宣言する。アルト・ペルーの代表者も出席した。
1823年 再び独立戦争始まる。
1824年 シモン・ボリバルとアントニオ・ホセ・デ・スクレの率いるベネズエラからのコロンビア共和国の解放軍により、副王ホセ・デ・ラ・セルナの率いる王党派軍がアヤクーチョの戦いで壊滅。インディアス植民地の最終的な独立が確定する。
1825年8月6日 ボリバルの協力により、スクレ元帥がアンドレス・デ・サンタ・クルスと共に、アルト・ペルーをスペインから解放した。アルト・ペルーの支配層はそれまで同一の行政単位を構成していたペルーやアルゼンチンとの連合を望まなかったため、チュキサカでアルト・ペルー共和国の独立が宣言された。