ペルー
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軍事

詳細はペルーの軍事を参照

徴兵制が敷かれており、成人男子は二年間の兵役の義務を有している。

1960年代後半からベラスコ将軍の革命政権時代にソ連との友好が図られたため、現在もペルー軍は基本的には東側の装備である。ペルーにおいて軍隊、特に陸軍はメスティーソチョロといった貧しい階層の出世が可能な唯一の組織であったといっても過言ではなく、サンチェス・セロやベラスコ・アルバラードなど、過去にクーデターで政権を握った軍人にもそういった階層の出身者は多かった。こうしたある意味で民主的な陸軍の伝統がある一方、対照的に海軍はイギリス海軍の影響を受けて貴族的であり、多くの機会において有色人種や身分の低い階層よりも白人が優先されていた。

また、軍隊は憲法の番人を自認しており、文民政権が違憲的な政策を行った場合にそれを嗜め、憲法に沿った形で公正な政治を文民に行わせるのが、長らく軍隊の役割であるとされてきた。


陸軍

ペルー陸軍は兵員約76,000人(2001年)を擁している。


海軍

ペルー海軍は兵員約26,000人(2001年)を擁している。


空軍

ペルー空軍は兵員約18,000人(2001年)を擁している。


経済

詳細はペルーの経済を参照ペルーの特産品(1970年)

アンデス共同体の加盟国、メルコスールの準加盟国であり、アジア太平洋経済協力南米共同体の加盟国でもある。

現行の通貨はs/. ヌエボ・ソル Nuevo Sol(訳 : 新しいソル。ソルは太陽を表す。かつての通貨ソルに代わって導入された)その下に補助通貨単位としてセンティモ(Centimo)、s/.1=100Centimosが存在する。

産業の中心は、亜鉛などの鉱業である。特に銀は世界第2位の産出量である(2003年)。石油ガスなどの天然資源も産出する。 また、中国に次いで世界第2位(2003年)の漁獲高を誇る水産業もペルーの主要な産業であると言えよう。


国民

詳細はペルーの国民を参照シエラのケチュア系ペルー人の親子シエラのヨーロッパ系ペルー人FAOによるペルーの人口増グラフ(1961年から2003年まで)

植民地時代にリマがペルー副王領の首都であり、そのため独立前からクリオージョ支配層がグアテマラメヒコと並んでラテンアメリカで最も貴族的な階層を築き上げていた。独立後もその傾向が是正されず国民意識が白人層にしか共有されなかったという問題は、ペルーの国民意識についての長年の問題であり、それは現在も変わることなく問題として残っている。そのため、現在のところ全てのペルー人に共通する、これがペルー人であるという答えは存在しないといわれている。

ペルーの民族構成は、メスティーソ45%、インディヘナ(先住民、公式にはカンペシーノなどと呼ばれる)37%、ヨーロッパ系ペルー人15%、アフリカ系ペルー人、中国系ペルー人(華人)と日系をはじめとするアジア系ペルー人などその他3%と、非常に複雑で多様な人種から構成されている。なお、日系ペルー人は約8万人程である。

インディヘナに関してはケチュア族アイマラ族が圧倒的に多いが、セルバのアマゾン低地にも多数の民族集団があり、近年彼らの文化の独自性がどれだけ保たれるかが懸念されている。

アフリカ系ペルー人は植民地時代にコスタの大農園での労働力として導入された黒人奴隷の子孫である。アフリカ系ペルー人の文化はコスタの音楽や舞踊、宗教、食文化など広範な分野に大きな影響を与えている。

ヨーロッパ系ペルー人としては、植民地時代からのスペイン系の他に、イタリア人フランス人ドイツ人バスク人などが1850年から1880年の間に2万人ほど流入した。 アジア系ペルー人としては、やはり1850年から1880年の間に10万人ほどの中国人(クーリー)が流入し、コスタの現地文化に同化した。中国人の導入が廃止された後は日本人が導入され、1899年から1923年までの間に2万1000人の日本人が契約移民として流入した。ヨーロッパ系もアジア系も移民は1854年の黒人奴隷解放後に、黒人奴隷に代わってのコスタのプランテーションでの労働力として導入された、

その他のマイノリティとしてはアラブ人ユダヤ人アメリカ合衆国人など。他のラテンアメリカ諸国からやってきた人間も少なからずいる。


人口

インカ帝国時代に1,000万人を越えていたと推測されている人口は、植民地時代に急激に減少し、独立直後の1826年に約150万人となっていた。その後1961年の国勢調査で10,420,357人、1972年では13,538,208人、1983年年央推計では約1,871万人となった。

1940年代から始まったシエラからコスタ(特にリマ)への国内移民のため、現在のリマは人口800万人の大都市圏を形成しており、これはペルーの総人口の約30%程である。

人口増加率 : 1.39%


言語

公用語はスペイン語(ペルー・スペイン語)、ケチュア語(1975年から)、アイマラ語(1980年から)であり、人口の大部分はスペイン語を話す。セルバのアマゾン低地では、先住民によって独自の言語が話されている。

シエラのインディヘナの多くはケチュア語を話す。アイマラ語話者はティティカカ湖沿岸のプーノ県に特に集中しており、ボリビアのアイマラ語文化圏と文化的に連続している。


宗教

ローマ・カトリックが89%程であるが、近年カトリックの数は減少しつつある。その他の宗教としては福音派プロテスタントが6.7%など。

スペイン人による征服以来ペルーに住む人々はキリスト教を受容していったが、それでも先住民の伝統宗教と独自の融合、背反を重ねて現在に至っている。


教育

6歳から16歳までが義務教育期間であるが、ペルーの公教育は余り普及しているとはいえない。識字率は89.1%と域内でも低い部類に入る。

主な高等教育機関はサン・マルコス大学(1551年)、ペルー・カトリカ大学、リマ大学(1962年)など。


文化

詳細はペルーの文化を参照インカ・コーラマリオ・バルガス・リョサカホンマリネーラ・ノルテーニャ


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki