詳細はペルーの地理を参照ペルーの三地域が色分けされているアンデス山脈の頂から流れる水が多くの川となる
ペルーの国土は三つの地形に分けられ、砂漠が広がる沿岸部のコスタ(国土の約12%)、アンデス山脈が連なる高地のシエラ(国土の約28%)、アマゾン川流域のセルバ(国土の約60%)である。このように三つに分けられる地形に加え、さらにコスタとシエラでは北部、中部、南部の違いがあり、それも大きなペルーの地域性の違いとなっている。気候としてはペルーは基本的には熱帯であるものの、標高の差や南北の差により各地域で大きな違いがある。
コスタは太平洋から東に向けて標高500mまでの地点を指し、この幅50kmから150km程の狭い地域にペルー国民の半数以上が居住している。砂漠であるものの、フンボルト海流の影響で緯度の割には気温は一年を通して過ごしやすく、最も暑い2月の平均気温が22℃、最も寒い8月の平均気温も14℃であり、灌漑を行えば通年で農耕が可能な土地である。 ただし、後述するように海流の関係で霧が発生し、湿度は非常に高い。冬の日はどんよりとした天気が続く。人が住めるのは古代からずっと砂漠の間を通る川の流域や、湧き水で出来たオアシスの周囲のみであり、前インカ期からこうした地域に古代文明が栄えていた。なお、こうした河川はコスタに50以上ある。
シエラはコスタの終わるアンデス山脈の西斜面の標高500m以上の地域から、東斜面の標高1,500m程までの地域を指し、その標高によってシエラ内でも幾つもの地域に細分化されている。 標高2,000m以下の暑い地域をユンガといい、この地域ではコーヒー、果物などの亜熱帯作物が育つ。 標高2,500mから3,500mまでの温暖な地域をケチュア(キチュア)といい、タワンティンスーユの中心だったクスコもこの範囲内にあった。この地域ではジャガイモが育つ。 標高3,500mから4,100mの冷たく涼しい地域をスニといい、リャマやアルパカの放牧に適している、4,100m以上の人間の居住には適さないぐらい寒冷な地域をプーナと呼ぶ。
シエラの農村部では、インディヘナ(ペルーでは公式にはカンペシーノ=農民と呼ばれる)の農民が、インカ帝国時代とあまり変わらない形態の農業を続けており、アイユと呼ばれる村落共同体の伝統が未だに重要な経済単位となっている。
セルバ(モンターニャ)はアンデス山脈東斜面の標高2,000m以下の地域を指す。標高2,000mから500mがセルバ・アルタとなり、豆やバナナなどの熱帯作物が育つのはこの地域である。標高500m以下はセルバ・バッハとなり、ゴムや砂金のブームがかつて起きたのはアマゾンのこの地域である。
ペルーの太平洋沿岸には寒流のペルー海流(フンボルト海流)と暖流が流れており、二つの海流がぶつかることによってペルー沖は好漁場となっている。
ペルーの国土を南北にアンデス山脈が貫いており、アンデス山脈は西部のオクシデンタル山脈、中央部のセントラル山脈、東部のオリエンタル山脈に分かれる。国内最高峰はオクシデンタル山脈のウアスカラン山(6,778m)である。
アンデス山脈から多くの川が東西に流れており、西に流れる川はコスタの砂漠を潤す役割を果す。アマゾン川の源流もアンデス山脈にあり、アマゾン川はペルー最大の河川となっている。また、北部を流れるプトゥマヨ川はペルーとコロンビアの国境線を形成している。
ペルーとボリビアの国境地帯のティティカカ湖は両国最大の湖となっている。
詳細はペルーの軍事を参照
徴兵制が敷かれており、成人男子は二年間の兵役の義務を有している。
1960年代後半からベラスコ将軍の革命政権時代にソ連との友好が図られたため、現在もペルー軍は基本的には東側の装備である。ペルーにおいて軍隊、特に陸軍はメスティーソやチョロといった貧しい階層の出世が可能な唯一の組織であったといっても過言ではなく、サンチェス・セロやベラスコ・アルバラードなど、過去にクーデターで政権を握った軍人にもそういった階層の出身者は多かった。こうしたある意味で民主的な陸軍の伝統がある一方、対照的に海軍はイギリス海軍の影響を受けて貴族的であり、多くの機会において有色人種や身分の低い階層よりも白人が優先されていた。
また、軍隊は憲法の番人を自認しており、文民政権が違憲的な政策を行った場合にそれを嗜め、憲法に沿った形で公正な政治を文民に行わせるのが、長らく軍隊の役割であるとされてきた。
ペルー陸軍は兵員約76,000人(2001年)を擁している。
ペルー海軍は兵員約26,000人(2001年)を擁している。
ペルー空軍は兵員約18,000人(2001年)を擁している。
アンデス共同体の加盟国、メルコスールの準加盟国であり、アジア太平洋経済協力と南米共同体の加盟国でもある。
現行の通貨はs/. ヌエボ・ソル Nuevo Sol(訳 : 新しいソル。ソルは太陽を表す。かつての通貨ソルに代わって導入された)その下に補助通貨単位としてセンティモ(Centimo)、s/.1=100Centimosが存在する。
産業の中心は、銅・鉛・亜鉛・銀・金などの鉱業である。特に銀は世界第2位の産出量である(2003年)。石油やガスなどの天然資源も産出する。 また、中国に次いで世界第2位(2003年)の漁獲高を誇る水産業もペルーの主要な産業であると言えよう。
詳細はペルーの国民を参照シエラのケチュア系ペルー人の親子シエラのヨーロッパ系ペルー人FAOによるペルーの人口増グラフ(1961年から2003年まで)
植民地時代にリマがペルー副王領の首都であり、そのため独立前からクリオージョ支配層がグアテマラ、メヒコと並んでラテンアメリカで最も貴族的な階層を築き上げていた。独立後もその傾向が是正されず国民意識が白人層にしか共有されなかったという問題は、ペルーの国民意識についての長年の問題であり、それは現在も変わることなく問題として残っている。そのため、現在のところ全てのペルー人に共通する、これがペルー人であるという答えは存在しないといわれている。
ペルーの民族構成は、メスティーソ45%、インディヘナ(先住民、公式にはカンペシーノなどと呼ばれる)37%、ヨーロッパ系ペルー人15%、アフリカ系ペルー人、中国系ペルー人(華人)と日系をはじめとするアジア系ペルー人などその他3%と、非常に複雑で多様な人種から構成されている。