詳細はベトナムの歴史を参照
紀元前から北部ベトナムの紅河(ホンハー)流域一帯には東南アジア最古の青銅器文化として知られる東山(ドンソン)文化が広がり、原始的な部族国家群を形成していた。これがいわゆる古越人(後のベト族)である。また中国・紹興一帯を支配した越の末裔が、民族のルーツとの説もある。 秦始皇帝以後、千年にわたって中国王朝の郡県支配を受け、中国文化の影響が深く浸透したが、完全に中国化することはなかった。一方中部ベトナムではオーストロネシア語族系統の古チャム人(後のチャム族)がインド化されたチャンパ王国を形成していた。唐末五代の混乱で中国の支配が後退すると939年に最初の民族王朝呉朝が成立、以後 越人の王朝「大越」が続く。大越は南のチャンパと抗争を繰り返したが、チャンパ領は14世紀に越都昇龍(タンロン)を2度攻略した制逢峨(チェーボンガー)の死後 内紛で割拠状態に陥り、1471年以降大越黎朝(1428-1788)及びその諸侯である広南阮氏がこれらを各個撃破して南進し、広南阮氏は更に17世紀にカンボジア領であったメコン川流域まで併合して今日のベトナム領土が完成した。
現代ベトナムの出来事
1887年 フランス領インドシナの成立(フランスによる植民地化)
1940年 日本軍の北部仏印進駐
1941年 タイ王国とフランスが交戦。日本政府による仲裁。
1944年 凶作に加え、米軍の空襲による南北間輸送途絶や日本軍の要請を受けたインドシナ植民地政府による食糧徴発などが重なり北部(トンキン)を中心に200万人以上が餓死したとの説もある。
1945年3月 保大(バオ・ダイ)帝が日本の援助下でベトナム帝国の独立を宣言
8月 ベトナム独立同盟(ベトミン)がハノイを占拠(ベトナム八月革命)
9月 ベトナム民主共和国樹立を宣言、ホー・チ・ミンが初代大統領に就任
1946年11月 ハイフォン(海防)でフランス軍と衝突
1946年〜54年 フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争)
1949年 フランスはサイゴンにバオダイを復位させ、ベトナム国として独立を認める。中国、ソ連は、ベトナム民主共和国を承認
1954年7月 ディエンビエンフーの戦いでフランスは敗北、ジュネーヴ協定を結び、ベトナムから撤退、独立戦争終結。同時に、北緯17度線で国土がベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム国(南ベトナム)に分断される。10月、南ベトナムではアメリカを後ろ盾にゴ・ジン・ジェムが大統領に就任、国名をベトナム共和国にする
1960年12月 南ベトナム解放民族戦線結成。
1962年2月 アメリカはサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まる。
1964年 トンキン湾事件。以降、1973年まで米軍が戦争に直接介入。
1965年2月 アメリカは北ベトナム爆撃を開始、本格的な戦争に突入
1968年1月 南ベトナム全土で解放戦線・北ベトナムのテト攻勢、アメリカは大打撃を受ける
1969年1月 南北ベトナム、解放戦線、アメリカの4者によるパリ和平会談が始まる
6月 南ベトナムで、解放戦線は南ベトナム共和国革命臨時政府成立。ベトナム共和国と対峙。
1972年4月 アメリカ・ニクソン政権は北爆を再開
1973年1月 南北ベトナム政府、臨時革命政府、アメリカの4者は、パリ和平協定に調印
1975年4月30日、北ベトナムと解放戦線は春の大攻勢を行い、南ベトナムのズオン・バン・ミン大統領は全面降伏、サイゴンは陥落、ベトナム共和国崩壊。南ベトナム共和国の名の下に北ベトナムが実権を掌握。ベトナム戦争終結。 ⇒[1] ⇒[2]
1976年4月 南ベトナム消滅による南北統一。初の南北統一選挙を行う。ベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改名。
1978年12月 カンボジア侵攻を開始。(第三次インドシナ戦争の始まり。)
1979年 中国との戦争(中越戦争)、世界各国は援助を停止し、ベトナムは孤立