プルトニウムの臨界量はウラニウム-235のそれの3分の1しかないので、臨界量に近い量のプルトニウムが蓄積しないように注意しなければならない。形状が重要である。すなわち球体のようなコンパクトな形にしてはならないのである。溶液状のプルトニウムは固体より少ない量で臨界量に達する。それが単に溶けるか破片になるのではなく爆発するためには超臨界を大きく越える量を必要とするので、兵器級の核爆発は偶然に生じることは有りえない。しかしながら、ひとたび臨界量に達すれば致死量の放射線が発生する。
臨界事故は過去に何度か起きており、それらのうちのいくつかで死者を出している。1945年8月21日、ロスアラモスで致死量の放射線を発生させた事故は、6.2kgの球状プルトニウムを囲んだタングステン炭化物レンガの不注意な取り扱いに起因していた。このとき科学者ハリーDaghlianは推定510 rem(5.1Sv)の被曝をし4週間後に死んだ。その9か月後に、別のロスアラモスの科学者ルイスSlotinは、ベリリウムの反射材、および以前にDaghlianの生命を奪ったのとまさに同じプルトニウムコア(いわゆる「デーモンコア」)による同様の事故で死んだ。これらの出来事は、1989年の映画「ファットマンとリトルボーイ」でかなり正確に描写された。1958年には、ロスアラモスのプルトニウム精製工程で、混合容器の中で臨界量が形成され、クレーン操作員が死亡した。この種の他の事故が、ソ連、日本および他の多くの国々で起こった(詳しくは原子力事故を参照)。1986年のチェルノブイリの事故は、大量のプルトニウムの放出を引き起こした。
さらに、金属プルトニウムには発火の危険がある。特に素材が微粒子に分割されている場合が危険である。金属プルトニウムは酸素および水と化学反応し、水素化プルトニウム、ピロリン酸化合物が蓄積するかもしれないが、これらは室温の空気中で発火する物質である。プルトニウムが酸化してその容器を壊すとともに、プルトニウムが相当に拡散する。 燃えている物質の放射能が危険を増す。酸化マグネシウムの砂は、プルトニウム火災を消火するための最も有効な素材である。それはヒートシンクとしてはたらき燃えている物質を冷やし、同時に酸素を遮断する。
1969年にコロラド州ボルダーの近くにあるロッキーフラッツ工場でプルトニウムが主な発火源になった火災があった。[13] これらの問題を回避するために、どんな形態であれプルトニウムを保管・取り扱う場合は特別の警戒が必要である。 一般的に、乾燥した不活性ガスが必要である。[14]
ラジウムあるいは炭素-14のような自然に生じるアイソトープとは対照的に、プルトニウムは冷戦中に兵器製造のために大量に(何百メートルトン)濃縮・製造・分離されたことは注目すべきである。1944年から1994年までの期間にアメリカ合衆国だけで、110メートルトンのプルトニウムを分離し、今なお100メートルトンを保有している。化学兵器、生物兵器と異なり、化学過程ではそれらを破壊することができないので、これらの備蓄は、武器形式であるかどうかに関わらず重大な問題を提起する。余剰の兵器級プルトニウムを処分する1つの提案はそれを高レベルの放射性同位体(例えば使用済み原子炉燃料)と混合することである。こうして潜在的な盗取、あるいはテロリストによる取り扱いを防止する。別の手段としては、ウランとそれを混合し原子炉用燃料(混合酸化物すなわちMOXアプローチ)として消費することである。これはPu-239の多くを核分裂により破壊するだけでなく、また、残りのかなりの部分を核兵器を役立たなくするPu-240およびより重い同位体に変化させることができる。[15]
日本では、プルトニウムの全ての同位体は 核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律 で、その保管、取り扱いを厳しく規制されているとともに、 外国為替法 の中で国際規制物資として輸出入が規制されている。
最初はウォルター・ラッセルによって存在が予想されていたが、ウラン238に中性子を照射してプルトニウムとネプツニウムを合成することは、1940年に二つのチームが互いに独立に予想した:カリフォルニア大学バークレー放射線研究所のエドウィン・M・マクミランとフィリップ・アベルソン、そしてケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所のノーマン・フェザーとイーゴン・ブレッチャーだった。偶然にも、両チームともが、外惑星の並びに似せて、ウランに続く同じ名前を提案していた。
最初に合成・分離したのは1941年2月23日、アメリカの化学者グレン・T・シーボーグ博士、エドウィン・M・マクミラン、J・W・ケネディー、およびA・C・ワールで、バークレーの60インチサイクロトロンを使ってウランに重水素を衝突させる方法による。この発見は戦時下だったため秘匿された。原子番号92のウラン、93のネプツニウムがそれぞれ太陽系の惑星の天王星、海王星にちなんで命名されていたため、これに倣って当時海王星の次の惑星と考えられていた冥王星 (Pluto)から命名された。シーボーグは冗談で元素記号にPuの文字を選んだが、特に問題にならずに周期表に採用された。マンハッタン計画で、最初のプルトニウム生産炉がオークリッジに建設された。後にプルトニウム生産のための大型の炉がワシントン州ハンフォードに建造されたが、このプルトニウムは最初の原子爆弾に使用され、ニューメキシコ州ホワイトサンドのトリニティー実験場で核実験に使われた。また、ここのプルトニウムがプルトニウムの発見からわずか5年後、第二次世界大戦末の1945年、原子爆弾として長崎市に投下された。
冷戦時代を通じて、ソビエト連邦とアメリカ合衆国の双方で厖大な量のプルトニウムの備蓄が行われた。1982年までに推定30万キログラムのプルトニウムが蓄積された。冷戦の終了とともに、こうしたプルトニウムの備蓄が、核拡散の恐れの焦点となった。2002年にアメリカ合衆国エネルギー省は、同国防省から34メートルトンの余剰の兵器級プルトニウムの所有権を譲り受けた。2003年初頭の時点で、合衆国内にあるいくつかの原子力発電所において、プルトニウムの在庫を焼却する手段として濃縮ウラン燃料からMOX燃料へ転換することを検討している。
プルトニウムが発見されてから数年の間、その生物学的・物理的特性はほとんど知られていなかった。そこで、合衆国政府およびその代理として活動する私的組織によって一連の放射線人体実験が行われた。第二次世界大戦の間から戦後に渡り、マンハッタン計画やその他の核兵器研究プロジェクトに従事した科学者が、実験動物や人体へのプルトニウムの影響を調べる研究を行った。人体に関しては、末期患者あるいは高齢や慢性病のため余命10年未満の入院患者に対し、(典型的には)5μgのプルトニウムを含む溶液を注射することにより実施された。