プエブロ号事件
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事件の詳細


拿捕

1968年1月5日に日本の長崎県佐世保を出航したプエブロ号は、対馬海峡で行動するソビエト海軍潜水艦の探知と、北朝鮮による通信の傍受を命じられていた。

1月21日プエブロ号は4km近くをソ連製の駆潜艇が通過するのを探知し、翌22日には20mほど近くをトロール船2隻が通過した。

1月23日、プエブロ号は北朝鮮の駆潜艇に発見され、国籍を問われて星条旗を掲げた。駆潜艇は停船を要求し、プエブロ号は逃亡を図ったが水平線上に3隻の魚雷艇を発見し、さらにMiG-21戦闘機と駆潜艇1隻、魚雷艇2隻が応援に急行した。

駆潜艇の乗組員がプエブロ号に乗り込もうとしたがプエブロ号はこれを回避し、なおも逃亡しようとした。これに対し駆潜艇が55mm機関砲でプエブロ号を銃撃したが装甲が厚く、余り効果はなかった。

しかし2回目の砲撃で機関兵見習いのデューン・ホッジスが死亡し、駆潜艇から北朝鮮兵が乗り移ってアメリカ兵を縛り上げた後目隠しをし、銃床で殴ったりして捕らえた。

日本の上瀬谷にあるアメリカ海軍の海軍保安部は無線でこの事態を知ったが、韓国の米空軍郡山基地のF4ファントム部隊は装備の問題から発進に手間取り、救援に駆けつけることができなかった。リンドン・ジョンソン大統領が事件を知ったのは乗組員が拘束された後であった。


収容

拿捕後プエブロ号は元山港に入港させられ、乗組員は2回に渡って捕虜収容所を移動させられた。証言によると、この間乗組員は拷問にあい、プロパガンダ用の写真を撮影しようとした北朝鮮兵に向かって乗組員がファックサインをした時に拷問は頂点に達した。

艦長ロイド・ブッチャーは拷問され、スパイ行為を行ったと自白させるため「部下を目の前で処刑する」と脅された。そのため、ブッチャーは自白を承諾した。北朝鮮側はブッチャーに彼自身の言葉で自白させたが、この時ブッチャーは「私は北朝鮮と、偉大な指導者金日成に感謝する」と言った際、「感謝する」のpaeanという単語を、「小便する」を意味するpeeと発音した。しかし、英語に詳しい者のいなかった北朝鮮側は誰ひとりとして気付かなかった。


脚注^ NHKスペシャル 『 ⇒ドキュメント北朝鮮 第1集 個人崇拝への道』、2006年。


関連項目

対南工作

アメリカ海軍EC-121機撃墜事件
カテゴリ: 朝鮮民主主義人民共和国の歴史 | アメリカ合衆国の歴史 (1945-1989) | 冷戦

更新日時:2008年7月28日(月)14:58
取得日時:2008/08/17 20:48


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki