20の県(ゾンカク)に分かれている。各県の県庁には基本的にゾン(城砦)があり、聖俗両方の中心地(行政機構、司法機関及び僧院)として機能している。ゾンカクはドゥンカク(郡、Dungkhag)とゲオク(村、Gewog)という行政単位によって構成されている。2002年時点で、全国に16のドゥンカク、201のゲオクがある。
1. ブムタン
2. チュカ
3. ダガナ
4. ガサ
5. ハ
6. ルンツェ
7. モンガル
8. パロ
9. ペマガツェル
10. プナカ
11. サムドゥプ・ジョンカル
12. サムツェ
13. サルパン
14. ティンプー
15 タシガン
16. タシ・ヤンツェ
17. トンサ
18. チラン
19. ワンデュ・ポダン
20. シェムガン
英領インドとの条約に「内政は不干渉、外交には助言を与える」という文言が存在し、1949年のインド=ブータン条約にその文言が継承され、多額の補助金がブータンに付与されていたため、インドの保護国的な印象を受ける。しかし、公的には1907年をもって国家成立としている。また、2007年3月の条約改定で「外交への助言」についての文言が「相互協力関係の維持及び拡大」を謳うものに差し替えられるなど、現状に合わせた新たな規定が定められた。
日本との関係
1964年当時のブータンの農業の収穫は非常に少ないもので、状況を改善すべく海外技術協力事業団(現・国際協力機構)は農業技術者として西岡京治を派遣、翌年の65年にはたくさんの収穫を得た。その後もブータン農業の改善に尽くした西岡は1980年に国王から「ダショー(最高の人)」の称号を授与され、1992年に没するまでブータンで仕事を続けた。
1988年以降、青年海外協力隊が派遣されている。
1989年、昭和天皇崩御の際には一ヶ月間喪に服した。[要出典]
1989年2月24日、34才のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が昭和天皇の大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」姿で来日した。世界各国の首脳の多くが、葬儀の前後に経済協力支援のため日本政府高官との会合を重ねたが、国王は一切の「葬儀外交」をせずに帰国した。新聞記者が理由を尋ねると、国王は「弔意を示しに来たのであって、金を無心しに来たのではない」と語った。[要出典]
2008年4月10日、日本サッカー協会は、サッカーブータン代表監督として、行徳浩二氏を派遣すると発表した。アジア各国・地域へ指導者らを派遣する貢献事業の一環で、ブータン協会から要請を受けた。契約期間は2009年1月末まで。
詳細はブータンの地理を参照
インドとは東をアルナーチャル・プラデーシュ州と、西をシッキム州と、南を西ベンガル州とアッサム州で接しており、その国境線は605kmに達する。また北の国境線470kmは中華人民共和国のチベット自治区と接している。中華人民共和国との国境の大部分はヒマラヤ山脈の上を走っており、国境線が確定していない部分が多く、国境画定交渉が現在も進められている。
ヒマラヤ山脈南麓に位置し、国土の標高差が南部の100mから北部の7,561mに亘っている。標高3,000m以上の北部ヒマラヤ山脈の高山・ツンドラ気候、標高1,200mから3,000mの中部のモンスーン気候、標高1,200m未満の南部タライ平原の亜熱帯性気候が並存する。
国内最高峰はガンカー・プンスム (7,561m)。
かつてはカイラス山の一帯も管轄下にあったが、チベットを占領した中華人民共和国はカイラスをブータン領とは認めず、チベットとともに中国領へと編入した。
詳細はブータンの経済を参照
主要産業はGDPの約35%をしめる農業だが、最大の輸出商品は電力である。 国土がヒマラヤの斜面にあることを生かし、豊富な水力による発電を行い、インドに電力を売却することにより外貨を得ている。
観光業は有望だが、文化・自然保護の観点からハイエンドに特化した観光政策を進めており、フォーシーズンズなどの高級ホテルの誘致に成功した。外国人観光客の入国は制限されており、バックパッカーとしての入国は原則として不可能。必ず旅行会社を通し、旅行代金として入国1日につき200米ドル以上(交通費、宿泊代、食事代、ガイド代を含む。ローシーズンは若干減額される)を前払いし、ガイドが同行する必要がある。ただし、治安の悪い南部地域への渡航制限を除き、自由旅行が禁止されているわけではない。
2004年12月より、環境保護及び仏教教義的な背景から世界初の禁煙国家となり、煙草の販売が禁止された。国外から持ちこむことは出来るが、100%の関税が課せられる。
1960年代から進んだブータン国の開発・研究(第1〜2次五カ年計画)により、幸福こそ人のそして国家の究極の目標とし、ワンチュク国王が1972年にその概念を生み出した。