沿革
1957年(昭和32年)11月18日 - 文化放送とニッポン放送を主体とし、東宝、松竹、大映の映画会社各社が参加して、株式会社富士テレビジョン設立。(富士テレビに決定される前は中央テレビジョンで仮決定されていた。)
1958年(昭和33年)12月 - 商号を株式会社フジテレビジョン(カタカナ名)に変更。
1959年(昭和34年)1月9日 - 本免許を受ける。
1959年(昭和34年)3月1日 - 地上アナログテレビジョン放送の本放送を開始(JOCX-TV)。開局は大阪・毎日放送(MBS)と福岡・九州朝日放送(KBC)と同日。関西地区においては、関西テレビ(KTV)と毎日放送とのネットワーク関係を結ぶが、翌年関西テレビに一本化する。
1959年(昭和34年)6月 - 東名阪福の基幹4局でネットワーク協力体制に調印し、フジネットワークシステム(FNS)の基礎を確立。
1960年(昭和35年)1月17日 - 本局の送信出力を映像50KW、音声12.5KWに増力する。
1964年(昭和39年)9月3日 - 東京オリンピック開始に伴い、カラー試験放送を開始(東京地区では3番目)。最初の番組は『僕は見たんだ』で、午前10時半からの30分番組。同放送は4日後の9月7日に本放送を開始する。
1966年(昭和41年)10月 - フジニュースネットワーク(FNN)発足。
1969年(昭和44年)10月 - フジネットワークシステム(FNS)発足。
1971年(昭和46年) - 制作局を廃止させ系列子会社化(「フジポニー」「フジ制作」「ワイドプロ」など)。報道・スポーツ・生番組以外の番組の制作を委託する(1980年の機構改革で「制作局」を再発足、自社制作を復活させるまで系列子会社の再編をしながら続く)。
1973年(昭和48年)『キンカン素人民謡名人戦』を最後に、自主制作番組が全部カラー放送になる。
1978年(昭和53年)10月2日 - 音声多重実用化試験放送開始。東京では日本テレビ、NHK(日本放送協会)に次いで3局目。第1弾は神宮球場からのヤクルト戦のステレオ放送。
1984年(昭和59年) - フジサンケイグループ議長・鹿内春雄が将来の衛星放送事業(現在のBSフジやフジテレビ721、739、ディノスチャンネルなど)参画による業務拡大に伴い、局舎面積拡大の必要性を訴え、当時はまだ更地であったお台場への社屋移転構想を発表する。(#フジテレビお台場移転の経緯を参照。)
1985年(昭和60年)12月8日 - 文字多重放送本放送開始。
1986年(昭和61年) - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、現在の「目玉マーク」のロゴ・マークに変更。
1988年(昭和63年) - 開局30周年を記念してオリエント急行を日本で走らせる。
1989年(平成元年)8月 - 第一世代クリアビジョン放送開始。
1989年(平成元年)頃 - 民放では初めて、ソニー製の1インチ非圧縮デジタルハイビジョンVTR DVH-1000が導入される。
1990年(平成2年)11月 - ハイビジョン試験放送開始。
1993年(平成5年) - 新本社・演奏所となるFCGビルが着工。
1994年(平成6年)11月 - ハイビジョン実用化試験局免許取得。
1995年(平成7年)4月 - 株式会社フジサンケイグループ本社を合併。
1995年(平成7年)9月 - ワイドクリアビジョン(EDTV-II)本放送開始。
1996年(平成8年) 8月- 東京都港区台場のFCGビルが完成。河田町からの移転作業が部署別に順次開始される。
1997年(平成9年)3月10日 - 台場のFCGビルへの本社・演奏所機能の移転が完了。本社事業所所在地変更(東京都港区台場二丁目4番8号)。旧河田町本社ビルの解体作業開始。
1997年(平成9年)8月 - 東京証券取引所市場第1部に株式を上場。
1998年(平成10年)4月 - 放送法に基づきCSデジタル放送」2チャンネルの委託放送事業者の認定を受ける。
1998年(平成10年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ721」放送を開始。
1999年(平成11年)4月 - CSチャンネル「フジテレビ739」放送を開始。
2000年(平成12年)12月1日 - 午前11時、系列のBSデジタル放送『BSフジ』(デジタルBS8Ch)開始。