フィンランド
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歴史

詳細はフィンランドの歴史を参照

通常は先史時代(?1155年)、スウェーデン時代(1155年?1809年)、ロシアによる大公国時代(1809年?1917年)、独立後の現代(1917年?)の四つの区分に分かれる。

フィンランドは「フィン人の国」という意味、スオミはフィン人の自称である。スオミの語源については多くの説が提唱されており定説はない。「フィン」についてはタキトゥスが残した「北方に住む貧しいフェンニ人」の記述が最古のものである。「スオミ」については古くはフィンランド南西端、バルト海沿岸にある都市トゥルクを中心とする限られた地域を指す単語であったのが、後に国土全体を指す単語に変容し、そこに住んでいたスオミ族の名が後にフィンランド語の名称になった。トゥルク周辺は現在では「本来のスオミ(Varsinais-Suomi)」と呼ばれている。


概史

現在のフィンランドの土地には、旧石器時代から人が居住した。南には農業や航海を生業とするウラル語族フィン人が居住し、後にトナカイの放牧狩猟をする、同じくウラル語族サーミ人が北方に生活を営むようになった。 400年代にインド・ヨーロッパ語族ノルマン人のスヴェーア人がフィンランド沿岸に移住を開始し、居住域を拡大していった。

1155年にはスウェーデン王エーリク9世は北方十字軍の名のもと、フィンランドを征服し、同時にキリスト教(カトリック)を広めた。1323年までにはスウェーデンによる支配が完了し、正教会ノブゴロド公国との間で国境線が画定したことで、名実ともにスウェーデン領になった。 16世紀の宗教改革でスウェーデンのグスタフ1世ルター派を受け入れたため、フィンランドもルター派が広まることになった。1527年にはアグリコラが聖書翻訳を進めたことでフィンランドは新教国としての性格を決定的にした。 1581年にはフィンランドの独立が模索された結果、フィンランド公国がスウェーデン王国を宗主国とする形で建国が宣言された。

1700年から始まった大北方戦争の結果の1721年ニスタット条約で、フィンランドの一部(カレリア)をロシア帝国に割譲された。 ナポレオン戦争ではスウェーデンの敗北で、1809年アレクサンドル1世フィンランド大公国を建国し、フィンランド大公を兼任することになった。その後スウェーデンが戦勝国となったが、フィンランドはスウェーデンにもどらず、ロシアに留め置かれた。

19世紀の民族主義の高まりはフィンランドにも波及し、「カレワラ」の編纂など独自の歴史の探求が研究された。その一方でロシア帝国によるロシア語の強制などでフィンランド人の不満は高まった。 1899年には、ニコライ2世がフィンランドの自治権を廃止すると宣言したため暴動が発生。ロシア総督ニコライ・ボブリコフ暗殺の惨事にいたり、ついに1905年には「自治権廃止」は撤回された。

1917年にはロシア革命の混乱に乗じてフィンランド領邦議会は独立を宣言した。その後マンネルヘイムが左翼の反乱を鎮圧し、1919年にはフィンランド共和国憲法が制定された。しかし、独立後の政情は不安定で1921年にスウェーデンと領土問題で争い(オーランド諸島)、さらに1939年から1940年ソ連との冬戦争では国土の10分の1を失った。第二次世界大戦継続戦争)ではソ連と対抗するために枢軸国側に付いて戦い、一時は冬戦争前の領土を回復したが、ソ連軍の反攻によって押し戻され、1944年にソ連と休戦。休戦の条件として国内駐留ドイツ軍を駆逐するために戦った(ラップランド戦争)ものの、敗戦国として終戦を迎えた。

戦後はソ連の勢力下に置かれ、ソ連の意向によりマーシャル・プランを受けられず、北大西洋条約機構にもECにも加盟しなかった。自由民主政体を維持し資本主義経済圏に属するかたわら、外交・国防の面では社会主義陣営に近かったが、ワルシャワ条約機構には加盟しなかった(ノルディックバランス)。この微妙な舵取りのもと、現在に至るまで独立と平和を維持した。ソ連崩壊後には西側陣営に接近し、1994年にはEU加盟に合意。2000年にはユーロを導入した。


政治エドゥスクンタ(Eduskunta)、フィンランドの議会

フィンランドの政治も参照。

国家元首である大統領は、内閣と共同して行政権を行使する。任期は6年で、国民の直接選挙によって選ばれる。前回投票は、2006年1月15日に行われたが、どの候補も過半数に満たなかったため、上位2名で1月29日に決選投票が行われ、フィンランド初の女性大統領が僅差ながらも再選を果たした。

独立以来、半大統領制ともいわれる大統領と首相の二元政治であったが、1990年以降になって議院内閣制への移行を目的とした憲法改正が数度行われた。公式見解としては議会制民主主義国家であり、議会が国権の最高機関である。

議会一院制エドゥスクンタ(Eduskunta)と呼ばれる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki