フィデル・カストロ
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宗教政策

キューバはスペインの植民地だったこともあり、国民の大半はもともとキリスト教徒(カトリック)であったが、社会主義革命を標榜するカストロは頑なな無神論者で、キリスト教会を取り壊し、教徒を矯正キャンプに入れるなどの宗教弾圧政策を行った。ローマ教皇ヨハネ23世は1962年1月3日にカストロを破門した。これは1949年にピウス12世が発した法令によるものであったが、カトリック信徒たりつづけることを以前から放棄していたカストロにとってこの破門は重要な出来事ではなく、カトリック教徒によるカストロへの支援を妨害するために行われたと予想されたが、そうであったとする証拠はほとんど無い。

ヨハネ・パウロ2世とカストロの関係は以前の教皇との関係と比べると多少よかった。1992年にカストロはキリスト教徒に対する融和策を導入した。ヨハネ・パウロ2世はアメリカによるキューバへの通商停止に対して「不正で、倫理的に承諾しがたい」と非難を行い、その後バチカンとカストロの関係は改善する。カストロは1996年11月にはバチカンを表敬訪問しヨハネ・パウロ2世に謁見。事実上宗教弾圧政策を放棄した。1998年になるとヨハネ・パウロ2世がキューバを訪問する。これはローマ教皇による初めてのキューバ訪問であった。教皇は訪問がキューバにおけるカトリック教会の建設促進が目的であったと強調し、政治的問題への関係を避けたが、カトリック学校の開設許可のために政府による教育規制の撤廃と、キューバ国内の病院で行われている妊娠中絶を批判した ⇒[1]。教皇の訪問後、キューバ政府はクリスマスを再び休日とし、宗教的行事の公然実施を認めた。

2005年4月のヨハネ・パウロ2世の死去時には、カストロはハバナ大聖堂でのミサに参列した。それは1959年に妹の結婚式に出席して以来46年ぶりのことであった。ミサを指揮した枢機卿ジャイム・オルテガはダーク・スーツを着たカストロを歓迎し、「私たちの教皇ヨハネ・パウロ2世の死がキューバで心より悼まれた」ことに対して謝意を表した ⇒[2]


亡命者問題

1980年3月28日、亡命希望者を乗せたバスがハバナのペルー大使館の門を突破した。続く48時間に10,000人以上のキューバ人が大使館に逃げ込んだ。カストロは4月20日にマリエルの港からボートで出国できることを発表する。亡命希望者達はマリエルからボートで出国を始め、彼らは「自由小艦隊 freedom flotilla」として知られるようになる。アメリカ沿岸警備隊によると、9月26日にマリエルが閉鎖されるまで、124,776人のキューバ人が出国したとされる。

マリエルから出国したキューバ人の大多数は正当な亡命希望者であったが、カストロはおよそ20,000人の犯罪者および精神障害者を出国させる機会としてこの事件を利用したとされる。


一般的なイメージとエピソード革命広場(ハバナ)にあるホセ・マルティ記念碑の前で演説するフィデル・カストロ

経済政策面などでは決して評価が高いとは言えない面はあるが、私利私欲に安易に振り回されない強固な信念の持ち主として、他の共産主義国家の独裁者たちとは違って、今なお賛否両論が別れる珍しい人物である。


共産主義指導者としての批評

2006年に、アメリカのワシントン・ポスト紙の付録誌「パレード」の『世界最悪の独裁者』という特集記事で、第15位に選出されるなど、アメリカや中南米諸国においては「社会主義かぶれの独裁者」として批判を受けることも多いものの、「中南米を植民地のように扱うアメリカにかたくなに抵抗し続けるヒーロー的な存在」として、容共的な人々のみならず反共産主義者の間においても心理的な支持者が多いと言われている。

特にベネズエラウゴ・チャベスは、フィデルを師匠のように敬愛している他、ボリビアエボ・モラレス大統領とも友好関係にある。政治家以外ではサッカー選手のディエゴ・マラドーナと親交があり、同国出身のチェ・ゲバラと共に彼の左派発言の土台を作ったとされている。国内においても、独裁者として君臨しているにもかかわらず同様な理由からカリスマ的な人気が根強くある。 ちなみに、カストロは中華人民共和国毛沢東のことを「クソ野郎」と呼び、キューバ危機の際自分にまったく相談せずにミサイル撤去に応じたフルシチョフが失脚したのを聞き、鏡を叩き割って罵ったと言われている。

独裁ゆえに権力に依存してしまいがちな他の独裁国家の指導者と違い、血族であるものの自らの政治指導が困難とみなすと潔く権力の移譲を表明する柔軟さを高く評価されることもある。(血族で唯一政治家である実弟のラウル・カストロはモンカダ兵営襲撃事件からの仲間である)事実、彼は非常に自分が美化されることに神経質で独裁国家によくある公共の場における指導者賛美のプロパガンダが一切存在せず、むしろ自分がTシャツのプリントや絵画に描かれることを嫌っている(ただし、彼の代わりにチェ・ゲバラを讃えるモニュメントは非常に多い)。

共産主義に対して極めて真摯な考えを持ち、自身がアメリカのフォーブス世界長者番付、君主・独裁者部門に9億ドルの財産を持つとして7位にランクインされたことに激怒し、「気分が悪くなる報道だ。なぜ、こんなバカバカしい記事に対して、自分を弁護しなければならないのか」「もし誰かが、私の口座が国外にあって1ドルでも預けてあると証明するなら、私は議長を辞める」と発言した。アメリカのメディアはほぼすべてが反カストロであるためたびたび大病を患った、大怪我をしたなどと書かれることがある。


葉巻と長時間演説

キューバの最大の特産物で、自らの好物でもある高級葉巻を革命闘争時代から常に欠かさなかったことから、葉巻愛好家の間では象徴的な存在であった。しかし、自身の健康と、国民に禁煙の重要さを説くため、1986年に禁煙宣言を出し自ら禁煙している。なお、2006年7月31日、声明を出し、「腸に急性の問題が発生、出血が続いている」ため外科手術を受けたと発表した。

カストロは長時間の演説をすることでも有名で、数時間に及ぶスピーチも一般的だという。かつて党大会で10時間以上に及ぶ政治報告を行ったこともある。本人も自分の演説が長いことを自覚している模様で、とあるパーティでスピーチに立った際、冒頭で「大丈夫、今日は早く終わらせるから」とジョークを言い、出席者を笑わせたことがある。しかし、近年では健康状態の悪化でそうした長時間の演説をすることも少なくなっている。


野球人として

2006年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝戦、日本と戦う事になったキューバだが、カストロは試合前、キューバ選手団に「試合に“勝て”とは言っていない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki