また1863年には、イギリスのタイムズ紙記者 ⇒ウィリアム・ハワード・ラッセルが、南北戦争の戦争特派員として滞米していた時に見聞したことを綴った手記を出版しているが、そのなかにエイブラハム・リンカーン大統領夫人のメアリーに関して流布していた風説を紹介したくだりがあり、そこでマーサのことを
...concerning the first lady in the land[6]
この地における第一の女性に関する...
と言い表している。これが first lady という語が現大統領夫人に使われた初例である。
「ファーストレディー (First Lady)」という語が大統領夫人の呼称として定着するは実に20世紀初頭になってからのことだった。1911年に劇作家チャールズ・フレデリック・ナードリンジャーは、ドリー・マディソンを題材とした喜劇『ザ・ファースト・レディー・イン・ザ・ランド (The First Lady in the Land)』を書いたが、これが大ヒットとなり新聞の劇評などで取り上げられたため、以後広く一般にも知れわたるようになった。
第一次世界大戦後、首都ワシントンで外国首脳夫妻を招いての公式行事が行われることが多くなると、ホワイトハウスでは大統領夫人との釣り合い上、外国首脳夫人に対してもファーストレディーの呼称を用いるようになり、ここからこの語が世界に広まっていった。今日では新聞紙面やニュースの中使われる用語のみならず、大統領府や首相府が公式・非公式の席上でこれを使用している国も少なくない [7]。
なお「ファーストレディー」という英語の表現は、英語圏以外の国でも翻訳せずにそのまま「First Lady」というかたちで使われることが多く、国際語的な一面をもった表現ともなっている。
用例
アメリカの大統領の妻の正式呼称[8]。「ブッシュ大統領夫妻」を「President Bush and Mrs. Bush」または「President George Bush and First Lady Laura Bush」と言う。
アメリカの州知事の妻の通称。なお大統領や州知事が女性の場合は夫を First Gentleman と呼ぶことになっているが、現在までのところそうした例はまだなく、夫は単に Mr. ? と呼ばれている。
日本の内閣総理大臣の妻の通称。
各国の首脳の夫人の通称。
大企業の最高責任者の夫人の比喩的な通称。
芸術や専門職などで第一人者の比喩的な通称。
逸話ドリー・マディソンイーディス・ウィルソンエレノア・ルーズベルトヒラリー・クリントン
アメリカ第3代大統領のトーマス・ジェファソンは、1801年の就任時には妻と死別していたため、娘のマーサをファーストレディーとしていた。しかしマーサにも家庭があり、また外交儀礼や社交術が物を言う時代、主婦とファーストレディーの掛け持ちには体力的にも厳しいものがあった。そこでジェファソンは国務長官ジェームズ・マディソンの妻で親しい友人でもあったドリーをもう一人のファーストレディーとしてホワイトハウスに常駐させた。ジェファソンが二期八年で引退を表明すると、その後継に出馬して当選したのがこのマディソンで、彼も大統領を二期八年務めている。
したがってドリー・マディソンは、「親族ではないファーストレディー」(唯一のケース) であり、一人の大統領に対して同時に存在した「二人目のファーストレディー」(唯一のケース) であり、二人の大統領を支えた「二代にわたってのファーストレディー」であり (唯一のケース)、16年間もホワイトハウスを生活の基盤とした「最も長いファーストレディー」(最長不倒記録) となった。
そしてこのドリー・マディソンが「ファーストレディー」という呼称の語源と歴史にも大きな役割も果たしていることは前述の通りである。
20世紀になって世界各地に独裁的長期政権が誕生すると、強烈な個性と政治力を持ったファーストレディーが登場して時に紙面を賑わせた。そうした中には、その人気から政権に多大な安定をもたらした者 (エヴァ・ペロン) や、逆に不人気から国を傾けてしまった者 (イメルダ・マルコス)、夫から副大統領指名されその死後自ら大統領に昇格した者 (イサベル・ペロン) や、逮捕されて死刑判決を受けた者 (江青) まで、さまざまなファーストレディーがいた。
では「世界最強の男」といわれるアメリカ大統領の夫人はどうなのかというと、その一貫して控えめな姿勢は意外なほどで、政治に容喙するようなファーストレディーはこれまでほとんど存在しなかった。
唯一の例外がウッドロウ・ウィルソン大統領夫人のイーディスである。第一次世界大戦の戦後処理や国際連盟の設立などに奔走していたウィルソン大統領は、1919年9月25日過労から倒れ、10月2日には脳梗塞を発症して左半身不随と言語障害に陥ってしまった。しかし大統領府は大統領の執務不能という事態を秘匿し、副大統領や議会関係者を一切ホワイトハウスに近づけさせず、以後ウィルソンの任期が終了する1921年3月4日まで、1年5ヵ月の長きに渡ってイーディスがすべての国政を決裁した。こうした事実が明らかになったのは実にウィルソンの死後になってからのことで、これが後の大統領権限継承順位を明文化した憲法修正第25条制定への伏線となった。
ホワイトハウスを去った後に公職に就いたファーストレディーもこれまでに二例しかない。1946年から1952年までアメリカの国連代表を務めたエレノア・ルーズベルトと、2001年から上院議員を務めるヒラリー・クリントンである。この二人は共に「最強のファーストレディー」と呼ばれたが、夫のフランクリン・ルーズベルト大統領の死去後隠棲しようとしていた矢先に乞われて国連代表に就任したエレノアと、夫のビル・クリントン大統領が当初から「一つ分のお値段で二つ分のお買い得」と評し、全幅の信頼を置くアドバイザーとして閣議にも臨席させたヒラリーとはその内容が大きく異なる。