海外旅行獲得を賭けたフィルムクイズは、パネルの盤上にVTR映像(過去はフィルム映像)を映し、古今東西問わず「ある○○」(人物、国、都市、半島、島、川、日本の年号、西暦年、文学作品、建造物など)を当てる問題。
成績や賞品紹介の後、すぐに優勝者と児玉が簡単な感想を話した後、児玉から「今日はある○○をお当ていただきます。」というようにジャンルが発表され、優勝者が取ったパネルが全部取れた時点で「ある○○、VTRスタート!!」と言ったところで一旦CMに入る。CM明けに旅行の紹介フィルム(VTR)を放送した後、もう一度「ある○○、VTRスタート!!」から再生される。開始当初(単独提供時代)は全ての解答者の成績を述べた後、CMなしでそのまま入っていたが、複数スポンサーになってからは一旦成績発表後CMを挟んでから行っていた時代があった。
フィルム (VTR) 映像はトップ賞獲得者が取ったパネルの部分だけしか見ることが出来ない(オンエアでは残った他の色(時間切れで点灯しなかったパネルを含む)のパネルのうちの1枚にトップ賞獲得者の様子が映し出される。パネルがCG化される1995年9月以前はクロマキー合成により残った白と青のパネルの数字部分が透けて映像が見えていたり、格子の形が見えていた。これはクロマキー合成に紫を使っており、格子の線は黒だが、数字は紫色を使っている。エンディングでのパネル点滅時には紫もある。)。映像はいくつかのヒント映像が流れ、映像の最後に、ある人物ならその人の顔写真、ある都市なら航空写真に市章(ただし、日本にある都市の場合のみ)、ある国なら航空写真に国旗が映される。VTR映像が回っている際に、緊迫感のあるBGM(フライト・トゥ・パリ)が流れる。
映像終了後、児玉に「その○○とは?(西暦の場合のみ「さあ、それは西暦何年?」)」と尋ねられ、5秒以内で正解を解答すると(解答時間は電話の時報のようなカウントダウンの音が流れる)、児玉の「正解!!」・「結構!!」・「その通り!!」と大絶叫、ど迫力あるファンファーレが鳴り、1980年代前半から1995年9月までは天井に吊るされていたくす玉が割られて大量の紙吹雪(色は銀のみ。風船は入っていなかった)とフランス国旗を彩った紙テープが降る中(初めてくす玉が割られた時、児玉は相当驚いていた)、番組開始当初から1980年代前半までと1995年10月以降は電飾が光る中で海外旅行獲得(但しこの場合、画面には一切字幕スーパーは映らない)。誤答・無解答はもちろん、言い直しやタイムオーバーによる正解も不正解となる。不正解の場合はしおれた感じのBGM(初代「アタックチャンス」のアタック音をアレンジしたもの)が流れる。一時期、不正解の時、しおれた感じのBGMが流れている最中にブザーが鳴ったこともあった。 児玉が正解内容を確認する時、全部のパネルが取り除かれて全て見られるようになる(児玉が「見にくいパネルもございましたが、パネルを全部抜いて皆さんとご一緒に○○を確認していきたいと思います」と言う)。現在はその際に画面が中央に寄り、周りはトップ賞獲得者の色がバックとして使われる(画面下にはスタッフロールが流れる)。確認の際、児玉は当初、内容の書かれたメモをポケットに入れていたが、現在は「アタック25」のロゴの入った黒いファイルを持っている。
展開によっては大事な部分が他の人のパネルで隠されて全く見えず(特に、画面下の年代などのヒントのテロップなど)、分かっていたのに答えられなかったというケースも少なくない。これはルールがオセロゲームに類似しているため、「優勝=最多パネル獲得者」は則ち、「辺及び隅の優先的獲得者=画面の中央部は見にくい」という法則が成立してしまうからである。他の3人は分かっていたのに優勝者だけが分からなかったという皮肉なことになってしまったケース、パーフェクトや20枚以上の大量得点を獲得したのに全く分からなかったケース、逆に1桁枚数(7・8・9枚で)での優勝者がわずかに見えた画面から正解を探し当てたケースも少なからずある。問題の難易度は常に一定ではなく、週によってばらつきがあり、サービス問題だと思う回もあれば、難易度が高く誰も答えられそうにないような問題もある。従ってどのような難易度の問題に当たるか、得意・不得意のジャンルに当たるかは運である。なお、児玉はこのクイズを「画(え)当て」と呼ぶ。
エンディングの際に、解答者の前で出題者・沢木から旅行獲得プレートと花束が贈呈される。ただし、かつてのような旅行地にちなんだバックミュージックは流れない。そして、解答者が海外旅行獲得の時は児玉が「また次回スペイン・パリの旅お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!!おめでとうございます」と言ってエンディングとなる。逆に残念ながら旅行獲得できなかった時は「本当に残念ですが、また次回スペイン・パリの旅お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!! 残念でございます」と言ってエンディングとなる。
かつて、エールフランス協賛によるパリ旅行だった時は、児玉が優勝者を発表する際に、「〇〇(色)の〇〇さんが〇枚のパネルをお取りになりまして、パリ挑戦権獲得!!おめでとう!!」と言ってファンファーレが鳴った際、字幕スーパーには「トップ賞・花の都パリに挑戦・ABC」と出ていた(後に、「アタック25トップ賞・パリ挑戦権獲得になった)。そして出題前に「さぁ(トップ賞の解答者名)さん、エールフランスに乗れますでしょうか。パリがあなたを待っております。よろしいでしょうか、ある○○(人物・国・都市・川・島・年号など)、フィルムスタート!!」というコメントとともに出題が始まっていたが、1995年になくなる(「○○行きなるでしょうか、VTRスタート!!」に変更されるが、詳しくは後述)。正解内容を確認した後、児玉が「(解答者名)さん、お見事!! パリにいらしていただきます!!おめでとう!!」とコメントした後、バックミュージックが流れ、エールフランス機の離陸映像とパリの風景をパネルに映し出して、そのパネルをバックにエールフランスのスチュワーデスより「おめでとうございます、エールフランスで楽しい旅をどうぞ!」と言いながら目録(当初は航空バッグ、末期は旅行獲得プレート)と花束が贈呈され、児玉が感想を聞いた後、「〇〇さん、見事パリ行きを射止めたことをお伝えして、また来週この時間パリがあなたを待っております!!ごきげんよう!!さよなら!!」と言ってエンディングとなる。残念ながら旅行を獲得できなかった場合、児玉は司会者席に戻り「惜しくもパリ行きなりませんでしたが、また来週この時間パリがあなたを待っております!!ごきげんよう!!さよなら!!」と言ってエンディングとなった(どちらとも末期は解答者席の前で行われた)。
出題者は現在6代目で、歴代の出題者は以下の通りである。
あかはゆき(番組開始当初 - 1976年3月28日)
中村京子(1976年4月4日 - 1980年3月30日)
相沢純子(1980年4月6日 - 1984年9月30日)
豊島美雪(1984年10月7日 - 1993年9月26日)
相馬宏美(1993年10月3日 - 1999年3月28日)
沢木美佳子(1999年4月4日 - 現在)
番組開始当初から10年ほどはパネル操作アシスタントもいて、児玉・出題者・アシスタントの3人で番組を進行していた時期もあったが、現在アシスタントはおらず、児玉と出題者の2人で進行している。パネル操作アシスタントは以下の通りである。
浅井環(1975年4月6日 - 1980年頃)
森昌美(1980年頃 - 1981年頃)
平井悦子(1981年頃 - 1985年頃)
番組開始当初から、児玉は出題者(アシスタント)とともに司会者席に座り、海外旅行クイズの時だけ立って(ハンドマイクを持って)番組を進行したが、1992年10月4日放送分から全編立って進行するようになった(座っている時はスタンドマイク、立っている時はハンドマイクだったが、これらに代わりピンマイクを着装している)。
1993年1月17日と1月24日の放送分は、出題者の豊島が急病のため、下村委津子が代役を務めた。
沢木は2008年7月以降も出題者を務めており、豊島の持つ担当9年の記録を塗り替え、出題者在任最長記録を更新中である。
放送時間
13:15 - 13:40(1975年4月 - 9月 25分)
13:15 - 13:45(1975年10月 - 1994年9月 25分から30分に拡大。)
13:25 - 13:55(1994年10月 - 現在 30分)
※フジテレビ系列の富山テレビでは木曜14:10 - 14:40の放送。(それまでは土曜16:55 - 17:25に放送)
この番組が誕生する1年前の1974年4月 - 1975年3月、同じ児玉が司会をした視聴者参加クイズ番組「東リクイズ・イエス・ノー」という番組が東洋リノリユーム(現:東リ)の一社提供の下、MBS製作でテレビ朝日系列にて放送されたが、1975年3月31日にABCとMBSのネットチェンジ、並びに視聴率の低下などを理由に番組が打ち切られた。