バチカンの地は古代以来ローマの郊外にあって人の住む地域ではなかったが、キリスト教以前から一種の聖なる地だったと考えられている。326年にコンスタンティヌス帝によってペトロの墓所とされたこの地に最初の教会堂が建てられた。やがてこの地に住んだローマ司教が教皇として全カトリック教会に対して強い影響力をおよぼすようになると、バチカンはカトリック教会の本拠地として発展し、755年から19世紀まで存在した教皇領の拡大にともなって栄えるようになった。1860年にイタリア王国が成立すると教皇領は接収されたため、ローマ教皇庁とイタリア王国政府が関係を断絶し、教皇は「バチカンの囚人」と称してバチカンに引きこもった。
このような不健全な関係を修復すべくイタリア政府とバチカンの間で折衝が続けられたが、1929年2月11日になってようやく教皇ピウス11世の全権代理ガスパッリ枢機卿とベニート・ムッソリーニ首相との間で合意が成立し、3つのラテラノ条約が締結された。条約は教皇庁が教皇領の権利を放棄するかわりに、バチカンを独立国家とし、イタリアにおけるカトリック教会の特別な地位を保証するものであった。この措置はイタリア国民にも広く支持され、「教皇との和解」を実現したムッソリーニの独裁体制はより強固なものとなった。1984年になると再び政教条約が締結され、イタリアにおけるカトリック教会の特別な地位などのいくつかの点が信教の自由を考慮して修正された。
バチカン市国はローマの北西部に位置するバチカンの丘の上、テベレ川の右岸にある。その国境はすべてイタリアと接しており、かつて教皇を外部の攻撃から守るために築かれたバチカンの城壁に沿ってしかれている。面積は約0.44km2と、国際的な承認を受ける独立国としては世界最小で、東京ディズニーランド (0.52km2) よりも小さい。その狭い領土の中にサン・ピエトロ大聖堂、バチカン宮殿、バチカン美術館、サン・ピエトロ広場などが肩を並べている。
またラテラノ条約の取り決めに従って、バチカン市国外のいくつかの区域(カステル・ガンドルフォの教皇別荘、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂などの大バジリカ、教皇庁事務所など)でもバチカンの主権が認められている。
バチカン市国の気候はローマの気候と同じで、地中海性気候の区域に属している。5月から9月は乾季にあたって少雨高温であり、10月から5月は雨季で冬は冷え込む。
観光客が入れる場所は、サン・ピエトロ広場、サン・ピエトロ大聖堂、バチカン博物館周辺のみである。
法的にはバチカン市国の政体は非世襲の首長公選制であるとみなされる。首長である教皇の権威はバチカン市国のみならず聖座全体におよぶものである。教皇は80歳以下の枢機卿たちの選挙(コンクラーヴェ)によって選ばれる。教会法において教皇に必要な資格は男性のカトリック信徒であるということだけであるが、実質上は枢機卿たちの互選になっている。
「バチカン市国」と「ローマ教皇庁」は同義のようだが微妙に同義でない。例えばバチカン市国の最高責任者として行政庁長官 (Governor of Vatican City) が存在するが、ローマ教皇庁の実質的な責任者は国務長官がつとめている。国務長官 (Cardinal Secretary of State) はバチカン市国の外交部門の最高責任者でもある。立法権は教皇の任命によるバチカン市国委員会 (Pontifical Commission for Vatican City State) が持っている。委員会のメンバーの任期は5年となっている。
バチカン市国の成立した1929年以降、国際法上の国家となったことにあわせてローマ教皇庁の外交使節がバチカン市国の外交使節として各国に派遣され、同時に各国の外交使節を受け入れるようになった(以前から教皇使節が主要諸国に滞在してはいた)。現在、バチカンは国際法上の主権国家として174カ国の独立国家と、国際連合およびマルタ騎士団の特命全権大使を受けて入れており、179カ国の国と地域に大使あるいは外交使節を派遣している。
東京にあるバチカンの大使館の名称は「ローマ法王庁大使館(イタリア語名:Nunzio apostolico in Giappone)」であり、バチカンの日本国大使館は「在バチカン日本国大使館」である。ただし実際はバチカン国内ではなくイタリア・ローマ市にある。かつて中国大陸に存在した満州国とは、同国の建国以降崩壊までの間を通じて「反共主義」という共通姿勢を拠り所として国交を保ち続けていた。
バチカンは、ヨーロッパ諸国で唯一中華民国と正式な国交を持っていることでも知られている。中華民国とバチカンの外交関係の歴史は古く、第二次世界大戦中の1942年に確立されている。
国際連合においては長らく「恒久的オブザーバー」というかたちで代表を派遣していたが、2004年7月に投票以外のすべての権利を持った代表となった。投票権を行使しないのは政治的に中立であるためであり、国連におけるバチカン代表のミリオーレ大司教も「投票権をもたないことは私たち自身の選択です」と語っている。
バチカンの国家予算は2003年のデータで歳入が約277億円で歳出290億円となっている。主な産業として出版業、モザイク製作などがある。バチカンは国家というにはあまりに特殊なものであり、利益追求の産業活動は行っていないため、「ペトロの募金」として知られる世界中のカトリック信徒からの募金や切手の販売、バチカン美術館の入場料収入、出版物の販売、また、それらの収入を「宗教活動協会」(Instituto per le Opere di Religioni/ IOR)を経由して投資運用を行うことで国家財政をまかなっている。バチカン職員の給与水準はローマ市の給与平均よりもやや良いといわれている。独自通貨をつくらないため、以前はリラが用いられていたが、2002年1月1日以降、ユーロが流通するようになった。
バチカンの国家財政管理を行う組織として「宗教活動協会」がある。なお、1980年代前半までは、宗教活動協会の投資運用と資金調達を行う主力行としての業務はイタリア国立労働銀行の子会社のアンブロシアーノ銀行が行っていたが、1982年に起こった多額の使途不明金スキャンダルとその後のロベルト・カルヴィ暗殺事件の影響を受け同行が破綻した以降は、ロスチャイルド銀行とハンブローズ銀行などが行っている。