詳細はニューヨーク市の歴史を参照ニューアムステルダムの一部だった1660年当時のロウアーマンハッタン
ニューヨーク湾沿いのこの地域に訪れた最初のヨーロッパ人として、1524年にイタリア人航海士ジョバンニ・ダ・ベラツァーノが上陸した時、先住民のレナペ約5,000人がここに住んでいた。1609年、オランダに雇われて探検航海をしていたイギリス人ヘンリー・ハドソンが、ハドソン川を探検した。彼の名前はこの川の名の由来となった。1613年、オランダ人が先住民レナペからマンハッタン島を購入して入植が始まり、当初は祖国の名にちなんでニューネーデルラント(新オランダ)と呼ばれ、1625年、ニューアムステルダムとよばれるオランダの交易所がマンハッタン島の南端にもうけられた。17世紀中ごろにはマンハッタン島は植民がすすみ、ブロンクス、ブルックリン、クイーンズ、スタテンアイランドにも定住がはじまった。1653年、オランダはこの植民地をイギリスとアメリカ先住民からまもるため、防壁をきずいた。この壁(ウォール)はのちにウォールストリートの語源となる。1664年イギリス軍が侵攻してきたためオランダ総督ピーター・ストイベサントは無抵抗で降伏した。第二次英蘭戦争を終結させたブレダの和約でニューアムステルダムを含むニューネーデルラントはイングランドに割譲され、国王チャールズ2世はこれを弟のヨーク公(後のジェームズ2世)に与えたので、ニューアムステルダムはニューヨークと改称された。これがニューヨークの起源である。その後第三次英蘭戦争中の1673年にオランダが一時奪回したが、1674年のウェストミンスター条約でイギリスに再度引き渡された。
ニューアムステルダムはニューヨークと改名された。優れた港湾であるニューヨーク港をもつ新開地は、沿岸貿易や海洋貿易によって発展した。ニューヨークは1765年の印紙税法反対運動など、アメリカ独立戦争にいたるさまざまな事件で重要な役割を担い、ロングアイランドの戦いの後からアメリカ独立戦争が終結するまではイギリス軍に占領された。1776年、アメリカ合衆国は独立してニューヨーク市が首都・州都となり、1789年にはジョージ・ワシントンが合衆国初代大統領として、ここで就任式をおこなった。1790年、首都がフィラデルフィアに移転し、1797年、州都がオルバニーに移転。1825年にエリー運河が完成するとニューヨークは飛躍的に発展した。ハドソン川とエリー湖をつなぐこの運河は、西部の巨大な市場を開放し、ニューヨークは商取引・金融・海上保険・製造の一大中心地になった。アイルランド、ドイツ、ユダヤ、イタリア人などを主とする多数の移民が入国しはじめ、1820-40年に市の人口は2倍以上になり、1850年代にはさらに倍増して51万5547人になった。19世紀末までには、南ヨーロッパや東ヨーロッパ、そして中国からの移民が殺到した。1853年、ニューヨーク万国博覧会開催。1863年7月13日、ニューヨーク暴動発生。この間、アメリカにおける中心地として、また第一次世界大戦後は、世界の経済、文化などの中心地として大きな発展を遂げる。橋の建設時代をむかえてさらに発展は加速された。1883年建造のブルックリン橋をはじめとする橋の建設は、1898年における周辺の郡や市の合併による、現在の5区制が確立される原動力となった。1904年には各区間の地下鉄網の建設がはじまった。アメリカ同時多発テロ事件前のマンハッタン。中央に二つの高い建物がまだある。
1929年10月24日、ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落し、これは世界恐慌の発端となった。この日は木曜日だったため、後にこの日は「暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー)」と呼ばれるようになった。1939年-1940年、「明日の世界の建設と平和」をテーマとしてニューヨーク世界博覧会(第1回) が開催され、ジョージ・ワシントンの大統領就任150周年を記念して催された。ナイロン・プラスチック・テレビなどが出展され、高速道路網が行き交う20年後のアメリカを表現した精巧な巨大ジオラマ「フューチュラマ」がGMパピリオンに登場し人気を博した。第二次世界大戦中から戦後にかけて、おもに南部諸州から多数の黒人がニューヨークに移住してきた。