ナショナリズムまたは国民主義(こくみんしゅぎ、英: Nationalism)は思想や運動の一種。"nationalism"は通常、国民主義と訳されるか、ナショナリズムとカタカナ表記される[1]。 文脈により多様に使い分けられており、その一義的な定義は困難である。主要な論者のひとりであるアーネスト・ゲルナーは「政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と定義しており[2]、十全とは言えないものの、この定義が議論の出発点としてある程度のコンセンサスを得ている[3]。
目次
1 概説
2 ナショナリズムの多義性
3 「ネイション」概念の変遷
4 ナショナリズムの起源
5 ナショナリズムの歩み
5.1 理念としてのナショナリズム
5.2 ナショナリズムと国家
5.3 帝国の解体とアジア・アフリカの動向
6 主な研究者とその主張
6.1 19世紀
6.1.1 ルナン
6.2 20世紀後半
6.2.1 アンダーソン
6.2.2 スミス
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
//
ナショナリズムには二つの大きな作用があり、文化が共有されると考えられる範囲まで政治的共同体の版図を拡大しようとする作用と、政治的共同体の掌握する領域内に存在する複数の文化を支配的な文化に同化しようとする作用がそれである。前者は19世紀の国民主義運動にその例を見て取ることができ、後者の例は「公定ナショナリズム」としていくつかの「国家」において見出すことができる。
しばしばナショナリズムはパトリオティズム(愛国心、郷土愛)と混同されるが、郷土(パトリア)への愛情であるパトリオティズムは近代になって初めて登場したナショナリズムよりもはるか以前から存在しており、両者は厳然と峻別される現象である[4]。現在ではネイションがパトリオティズムの対象となる場合が多いが、これはむしろゲルナー、スミス、アンダーソンらが指摘するようにゲマインシャフト的共同体がゲゼルシャフトであるネイションへと再編成されていったのと軌を一にして、各地域ごとに無数に存在した帰属対象としてのパトリアを、ナショナリズムが文化的同化作用によって、ネイションへと帰属対象を集約していった結果として理解される。
こういったネイションの近代性は国家主義の立場からしばしば忘れられたり無視されたりしがちであるが、ネイションとナショナリズムの近代性と作為性については、均質なネイションは近代における社会と産業の必要性から生まれたという点で学問的にはほぼ決着を見ている。ゲルナーとスミスの近代性についての師弟対決はネイションが全くの無から発明されたのか、それとも前近代から何らかの遺産を相続しているのかという点をめぐって行われたのであり、古代・中世においてネイションが存在したのかについての論争ではない。結局のところ、身分の差が歴然としており越境が困難な社会において、あらゆる社会階層を横断する共属感情を形成することは不可能ではなくともきわめて困難であり、たとえそのような感情が一部で形成されたとしても、それを後世引かれる国境線の内側すべてを覆うほどの広がりを持たせる手段を近代以前の社会は欠いていた[5]。
しかしこのことは必ずしもゲルナーやボブズボームの言うようにネイションとナショナリズムが近代に無から生み出されたことを意味するわけではない。スミスは、近代以前に存在した歴史や神話を核にしてネイションは生まれたのだとする。スミスは近代以前の身分を横断しなかったり、地理的広がりを持たず、ネイションのような政治単位となりえなかった共同体を「エトニ」と呼び、あるエトニが周辺のエトニを糾合し、自らを基準に同化していった結果成立したのが「ネイション」であるとした。このスミスの理解は、いかに小規模なゲマインシャフト的集団が広範で雑多なゲゼルシャフトに変じたかという点でアンダーソンと相互に補完しあっており[6]、現在のナショナリズム論の基本的な考えとなっている。
このように「ナショナリズム」という語が多義化する理由は、「ネイション」 (nation) という語が、各時代・地域においてさまざまに解釈されることを一因とする。フランス革命後のフランスでは「ネイション」とは近代市民社会の普遍的諸理念を共有する個人・市民によって構成される共同体として考えられるが、一方でナポレオンの侵攻によって「ナショナリズム」に覚醒するドイツでは、「ネイション」とは固有の言語や歴史を共有する民族共同体として考えられる。