ドワイト・D・アイゼンハワー
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軍歴妻とともに(1916年)

アイゼンハワーは1911年6月に、アメリカ合衆国陸軍士官学校ニューヨーク州ウェストポイント)に入学し、1915年に卒業した。彼はテキサスとジョージアの様々なキャンプで1918年まで歩兵と共に、また1918年?1922年まではメリーランド州キャンプ・ミード等で戦車隊と共に軍務に就いた。1917年に大尉、1920年に少佐に昇進。次いで1922年?1924年の間にパナマ運河地帯でフォックス・コナー将軍の副官の地位にあった。1925年1926年には、カンザス州フォートレヴェンワースで指揮官および参謀学校に着任し、次に、1927年までジョージア州フォートベニングで大隊指揮官を務めた。

1920年代の終わりから1930年代の初めまで、アイゼンハワーの軍歴は停滞した。彼はアメリカ戦碑委員会に着任、その後ジョン・パーシング将軍によってワシントンD.C.の陸軍戦争大学での奉職を余儀なくされた。そして次に、ジョージ・V・モゼリー将軍(国防副長官、1929年?1933年)の副官を務めた。その後、アイゼンハワーは1935年まで陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサー大将の主任補佐武官を務め、彼がフィリピン政府の軍事顧問を務めることになった時、これに同行した。その後、1936年に中佐に昇進した。

アイゼンハワーは第二次世界大戦が発生した1939年にアメリカへ戻り、1941年6月にテキサス州フォート・サム・ヒューストンで第3軍の司令官ウォルター・クルーガー将軍の参謀長に任命された。アイゼンハワーは1941年9月に准将に昇進した。彼の管理能力は注目されたが、第二次世界大戦への米国参戦前夜においては、実戦での指揮経験が全く無く、大きな作戦の司令官となる可能性は極めて薄かった。

1941年12月7日日本軍による真珠湾攻撃の後に、アイゼンハワーは1942年6月までワシントンで参謀に着任した。彼は戦争計画部門の主任レナード・ゲロー将軍の元で太平洋防衛の主任代理に指定され、更にゲロー将軍の後任となった。その後、アイゼンハワーは参謀総長ジョージ・C・マーシャル大将の下、首席助手補佐官に指定された。上級司令官の地位へアイゼンハワーを導いたのは、マーシャルとの緊密な関係だった。マーシャルはアイゼンハワーの卓越した管理・統率能力を認識していたのである。


戦時指揮官ポツダム会談時

1942年6月、アイゼンハワーはロンドンに司令部を置くヨーロッパ戦域司令官に着任した。ここで彼はモロッコアルジェリアへの連合軍上陸作戦、即ちトーチ作戦を計画し実行した。1942年11月からは北アフリカで連合軍の陸海空3軍の最高司令官になる。1943年12月にはオーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)の計画、実行に責任を負う連合軍最高司令官に指名された。1944年6月6日D-デイにおいては連合軍すべてを指揮した。12月20日、陸軍元帥に昇進。1944年末まで、ヨーロッパ戦線における450万人の連合軍全軍の最高司令官であった。

アイゼンハワーはこれらの地位で、リーダーシップと外交の偉大な才能を示した。彼はオマル・ブラッドリー将軍やジョージ・パットン将軍のような前線の指揮官の尊敬を勝ち取り、ウィンストン・チャーチルバーナード・モントゴメリー元帥およびシャルル・ド・ゴール将軍のような一筋縄ではいかない協力者と巧みに取り引きした。戦略上チャーチルやモントゴメリーとは基本的に相容れないものがあったが、彼らとの関係を転覆することはなかった。またアイゼンハワーはゲオルギー・ジューコフのようなソ連の司令官や、しばしばヨシフ・スターリンと直接交渉することさえあったが、それはルーズベルト大統領が彼に対して信頼を抱いていたからであった。

1945年5月8日のドイツの降伏後、アイゼンハワーはフランクフルトを本拠に、米国による占領地帯の軍政長官に就任したものの、程無くパットンにこの地位を委任した。彼は1945年11月に陸軍参謀総長に任命された。1950年12月に北大西洋条約機構(NATO)軍の最高司令官になった。元帥であるアイゼンハワーは終身、現役陸軍軍人に留まる資格を有していたが、政界に入るに当たって1952年7月陸軍を退役している。


大統領選でのアイゼンハワー

アイゼンハワーは1948年7月にコロンビア大学の学長に選ばれ、ニューヨークに居を構えた。1945年以来、大統領候補となる可能性を指摘されてきたが、1936年以来積極的に共和党大統領候補としての指名を求めていたマッカーサーと異なり、政治にほとんど関心がなく、選挙で投票したことも無かったので共和党支持か民主党支持かも知られていなかった。

トルーマン大統領は否定しているが、歴史家の何人かは、1948年の大統領選挙でトルーマンがアイゼンハワーを支持して引退することを申し出たとする。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki