ドワイト・D・アイゼンハワー
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戦時指揮官ポツダム会談時

1942年6月、アイゼンハワーはロンドンに司令部を置くヨーロッパ戦域司令官に着任した。ここで彼はモロッコアルジェリアへの連合軍上陸作戦、即ちトーチ作戦を計画し実行した。1942年11月からは北アフリカで連合軍の陸海空3軍の最高司令官になる。1943年12月にはオーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)の計画、実行に責任を負う連合軍最高司令官に指名された。1944年6月6日D-デイにおいては連合軍すべてを指揮した。12月20日、陸軍元帥に昇進。1944年末まで、ヨーロッパ戦線における450万人の連合軍全軍の最高司令官であった。

アイゼンハワーはこれらの地位で、リーダーシップと外交の偉大な才能を示した。彼はオマル・ブラッドリー将軍やジョージ・パットン将軍のような前線の指揮官の尊敬を勝ち取り、ウィンストン・チャーチルバーナード・モントゴメリー元帥およびシャルル・ド・ゴール将軍のような一筋縄ではいかない協力者と巧みに取り引きした。戦略上チャーチルやモントゴメリーとは基本的に相容れないものがあったが、彼らとの関係を転覆することはなかった。またアイゼンハワーはゲオルギー・ジューコフのようなソ連の司令官や、しばしばヨシフ・スターリンと直接交渉することさえあったが、それはルーズベルト大統領が彼に対して信頼を抱いていたからであった。

1945年5月8日のドイツの降伏後、アイゼンハワーはフランクフルトを本拠に、米国による占領地帯の軍政長官に就任したものの、程無くパットンにこの地位を委任した。彼は1945年11月に陸軍参謀総長に任命された。1950年12月に北大西洋条約機構(NATO)軍の最高司令官になった。元帥であるアイゼンハワーは終身、現役陸軍軍人に留まる資格を有していたが、政界に入るに当たって1952年7月陸軍を退役している。


大統領選でのアイゼンハワー

アイゼンハワーは1948年7月にコロンビア大学の学長に選ばれ、ニューヨークに居を構えた。1945年以来、大統領候補となる可能性を指摘されてきたが、1936年以来積極的に共和党大統領候補としての指名を求めていたマッカーサーと異なり、政治にほとんど関心がなく、選挙で投票したことも無かったので共和党支持か民主党支持かも知られていなかった。

トルーマン大統領は否定しているが、歴史家の何人かは、1948年の大統領選挙でトルーマンがアイゼンハワーを支持して引退することを申し出たとする。1952年の大統領選では、民主党・共和党の両党から立候補を要請された。アイゼンハワーは出馬を最初拒絶したが、結局説得を受け、共和党の大統領候補として立候補することとなった。共和党の候補となった理由としては、民主党が20年間大統領を輩出し、その変更を国が必要としたので共和党を選んだとアイゼンハワーは語った。オハイオ州選出の上院議員ロバート・タフトを破り、共和党の大統領候補としての指名を得た。

大統領選の序盤には、アイゼンハワーは「非政治家」としてキャンペーンを行い、対立候補であるイリノイ州知事のアドレー・スティーブンソンについて言及しなかった。その代わりに、他の共和党員が、彼の温厚な公のイメージを守りつつも、民主党員を「共産主義に寛大」として非難する冷戦キャンペーンをすることを黙認した。このため、彼はカリフォルニアから選出された上院議員、リチャード・ニクソンを副大統領候補に選んだ。アイゼンハワーとニクソンは442の選挙人の投票を得て、11月の選挙に勝利した。対するスティーブンソンの得票は89だった。


大統領としてのアイゼンハワー


外交問題国務長官ダレスとともにワシントンD.C.を訪れた南ベトナムゴ・ディン・ジエム大統領を迎えるアイゼンハワー

アイゼンハワーの大統領時代は、ソ連を筆頭とする東側諸国とアメリカ合衆国を代表とする資本主義陣営との冷戦の時代であった。国務長官ジョン・フォスター・ダレスは、共産主義との戦いを指揮した。しかし、共和党の過激な反共主義者の煽動にもかかわらず、アイゼンハワーはジョージ・ケナンによって提唱された封じ込め主義を受け、中道路線を追求した。アイゼンハワーは行き詰まった朝鮮戦争を終了すると約束し、停戦は1953年7月に署名された。アイゼンハワーは大韓民国および中華民国との防衛条約に署名し、アジアでの共産主義の普及をとどめるために、東南アジア条約機構を形成した。

1956年にアイゼンハワーは、スエズ運河の管理に関する論争でイギリスフランスエジプトへの軍事介入を強く非難した(スエズ危機)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki