その他
オットー・グローテヴォール - 初代首相。東地区のドイツ社会民主党出身。
ギュンター・シャボウスキー - ベルリンの壁崩壊の直接のきっかけを作ったSED政治局員。政府報道官。
エーリッヒ・ミールケ - ベルリンの壁崩壊直前まで32年間にわたりシュタージのトップ(国家保安省長官)を務めた。SED政治局員候補。
マルゴット・ホーネッカー - エーリッヒの妻。保健相を務め、エーリッヒの後継者候補と目されていた。
ロタール・デメジエール - キリスト教民主同盟党首。1990年の自由選挙から再統一による国家消滅まで、最後の東ドイツ首相。再統一後は自党を西側の党へ吸収合併させ、コール政権へ入閣したが、1991年、シュタージの協力者だった経歴が発覚して失脚。
他の東ヨーロッパの社会主義国同様、ワルシャワ条約機構に属していた。DDRの軍隊である国家人民軍の人数は約9万人で、約26万人の在独ソ連軍の3分の1ほどに過ぎなかったが、「棍棒で鍛えられた」とも表現されるその錬度の高さはワルシャワ条約機構軍一と言われ、同軍の武器庫、弾薬庫の鍵は、叛乱を恐れ必ず在独ソ連軍の将校が管理したとも噂された。T-72その他の同軍の兵器はソ連仕様よりも武装や装甲が大幅にスペックダウン(モンキーモデル化)されており実際にソ連側にとっての叛乱防止の意図があったと見られている。
「東ドイツは国土の約4分の1が在独ソ連軍の基地や演習場で占められていた」、「東ドイツは約26万人(東欧革命より少し以前の陸軍のみの兵力と思われる)の在独ソ連軍に支払う思いやり予算の重圧で自然崩壊した」等の言説は、現在では西側マスコミによるプロパガンダだったというのが通説となっている。
1973年、西ドイツと同時に国際連合に加盟。なお、ドイツ民主共和国はナチス・ドイツと戦ってきた反ファシズムによって樹立された政権であり、ベルリンの壁の崩壊まで第2次世界大戦によるナチス・ドイツの侵略戦争やホロコーストに対する責任を負う立場にないとしていた。
当初は5つの州(Land) が置かれた連邦制で、旧西ドイツの連邦参議院にあたる参議院 (Landeskammer) も存在したが、1952年以降は14のBezirk(日本語では「県」と訳される、東ベルリンは除く)に再編されて参議院は廃止され、中央集権化が進められた。
ドレスデン県(Bezirk Dresden、県都はドレスデン)
カール=マルクス=シュタット県(Bezirk Karl-Marx-Stadt、県都はカール=マルクス=シュタット)
ライプツィヒ県(Bezirk Leipzig、県都はライプツィヒ)
ゲーラ県(Bezirk Gera、県都はゲーラ)
エアフルト県(Bezirk Erfurt、県都はエアフルト)
ズール県(Bezirk Suhl、県都はズール)
ハレ県(Bezirk Halle、県都はハレ)
マクデブルク県(Bezirk Magdeburg、県都はマクデブルク)
コトブス県(Bezirk Cottbus、県都はコトブス)
ポツダム県(Bezirk Potsdam、県都はポツダム)
フランクフルト県(Bezirk Frankfurt (Oder)、県都はフランクフルト・アン・デア・オーダー)