ドイツ民主共和国
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政党と選挙


政党

ドイツ民主共和国では、5つの政党が存在し、5つの政党で「国民戦線」を形成していた。しかしドイツ社会主義統一党以外の政党は同党の指導を認めた上で存在する衛星政党であり、「複数政党制」という建前を維持するための飾り物的存在であった。ヘゲモニー政党制の典型例である。

ドイツ社会主義統一党 (SED) -支配政党

ドイツキリスト教民主同盟(CDU(DDR)) - 旧西ドイツのドイツキリスト教民主同盟(CDU)とは別政党

ドイツ自由民主党 (LDPD) - 旧西ドイツの自由民主党 (FDP) とは別政党

ドイツ国民民主党(国家民主党)

ドイツ農民民主党(民主農民党)

東西ドイツ統一後、上記の政党のうちSEDは民主社会党(PDS、現在の左翼党)と改名して存続し、キリスト教民主同盟・農民民主党は西側のキリスト教民主同盟と合同、ドイツ自由民主党(LDPD)・国家民主党は西側の自由民主党(FDP)と合同している。


選挙

人民議会の選挙は、予め決められた議席配分リストに対して賛成の場合はそのまま無記入で投票、反対の場合は「反対」の欄に印を書く、と言う物であった。無記名投票ではあったが、反対の時のみ書かなければいけなかったため、すぐに誰が反対したのか分かるようになっていた。選挙の投票率は常に99%に近く、そのうちの賛成率も99%以上であった。棄権率、反対率は大都市になるほど高くなった。都市では投票の相互監視が比較的薄いからである。1981年からは棄権率、反対率は東ベルリンが最高である(ベルリンは表向き4カ国管理となっているために、相互の国会に直接議員を送ることが出来なかった。東ドイツは1981年よりその慣習を破って人民議会の直接選挙を行った)。

人民議会における議席配分は常に一定され、政党のほかに労働組合や職能団体などに配分されていた。当然社会主義統一党 (SED)が最大勢力になるように配分されている。また各団体はSEDの影響下にあった。

社会主義統一党 127議席

キリスト教民主同盟 52議席

自由民主党 52議席

国家民主党 52議席

民主農民党 52議席

自由ドイツ労働総同盟 68議席

自由ドイツ青年団 40議席

ドイツ民主婦人連盟 35議席

ドイツ文化連盟 22議席

計 500議席


民主化後の選挙

1989年秋に大規模な民主化運動が発生し、ホーネッカー体制が崩壊すると、社会主義統一党は国家に対する支配性を放棄して社会主義統一党/民主社会党 (SPD/PDS) と改称した。そして、1990年3月18日には東ドイツ国家史上最初(そして最後)の自由選挙が実施された。この際、西ドイツからの政治家の応援演説や資金提供が容認されたため、社会主義体制下の衛星政党からの脱却に成功したドイツキリスト教民主同盟やドイツ自由民主党の保守・中道政党は西ドイツの同系統の政党から強い支援を受けた。また、1946年に社会主義統一党へと事実上強制吸収されたドイツ社会民主党も元党員も加わる形で再建され、1972年に東西ドイツ基本条約を締結して東ドイツ国民から強く信頼されていたヴィリー・ブラント元首相などが西ドイツ側の社会民主党から支援に駆けつけた。また、民主化運動の中心勢力も独自のグループを結成し、社会主義統一党/民主社会党などとともに選挙に臨んだ。

選挙の事前予想では緩やかな国家統一を主張する社会民主党が優位だったが、首相でもある西ドイツのキリスト教民主同盟党首ヘルムート・コールは精力的に東ドイツ全土を遊説し、東ドイツマルクから西ドイツマルクへの交換レートなどで東ドイツ国民に配慮した公約を行った。これが成功してキリスト教民主同盟が社会民主党を抑えて第一党となり、西ドイツと同様に自由民主党の連立参加を受け、党首のロタール・デメジエールが首相に就任した。一方、社会主義統一党/民主社会党は大きく議席を減らし、「東ドイツにとどまり、この国を民主化する」事を唱えた民主化勢力も伸び悩んだ。これにより、東ドイツは事実上独立国家としての存続を放棄し、西ドイツに主導権を預けた急進的なドイツ統一への道を進んだ。


主な政治家


歴代国家元首
ヴィルヘルム・ピーク(注1):1949年 - 1960年

ヴァルター・ウルブリヒト(注2):1960年 - 1973年

フリードリヒ・エーベルト(注3):1973年

ヴィリー・シュトフ1973年 - 1976年

エーリッヒ・ホーネッカー(注4):1976年 - 1989年

エゴン・クレンツ1989年

マンフレート・ゲルラッハ(注5):1989年 - 1990年

ザビーネ・ベルクマン=ポール(注6):1990年


注1:ヴィルヘルム・ピークは、「大統領(Staatspr?sident)」、それ以降は「国家評議会議長(Staatsratsvorsitzender)」。

注2:ヴァルター・ウルブリヒトは、社会主義統一党(SED)書記長兼任(1949年10月〜71年4月)。

注3:フリードリヒ・エーベルトは、国家評議会議長代理。

注4:エーリッヒ・ホーネッカーは、SED書記長兼任(1971年4月〜89年10月)。

注5:マンフレート・ゲルラッハ(ドイツ自由民主党出身)の評議会議長在任は、1990年の自由選挙実施時まで。

注6:ザビーネ・ベルクマン=ポールは、人民議会議長・暫定国家元首を自由選挙実施後から再統一時まで務めた。


その他

オットー・グローテヴォール - 初代首相。東地区のドイツ社会民主党出身。

ギュンター・シャボウスキー - ベルリンの壁崩壊の直接のきっかけを作ったSED政治局員。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki