ドイツの統一までの経緯についてはドイツ統一を参照
1862年にオットー・フォン・ビスマルクがプロイセン王国の首相となった。そして、オーストリア帝国と同盟し、デンマークと戦争を行った(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)結果、デンマーク統治下にあったシュレスーヴィヒ公国およびホルシュタイン公国をオーストリアとの共同管理とした。
その後1866年、普墺戦争ではオーストリアを破って北ドイツ連邦を結成し、オーストリアをドイツ人国家の枠組みから追放した。1870年には普仏戦争でナポレオン3世率いるフランス帝国を破ってパリへ入城し、ヴェルサイユ宮殿でドイツ諸侯に推戴される形でプロイセン国王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝となり、ここに帝政ドイツが成立した。
またこの際に、長年フランスとの間で帰属が変遷していたエルザス=ロートリンゲン(アルザス=ロレーヌ)を獲得した。
ビスマルクは、普仏戦争に敗れたフランスの対独復讐を封じるために、列強と複雑な同盟関係を築き上げてフランスを孤立化させる外交政策を取った。これをビスマルク体制と呼ぶ。
1873年 - ドイツ帝国はロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国の3つの帝国間で三帝同盟を結ぶ。
1879年 - 独墺同盟をオーストリア=ハンガリー帝国と結ぶ。
1882年 - ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリア王国間で三国同盟を結成する。
1887年 - バルカン半島に関連してロシアと再保障条約を締結。
当時イギリス帝国とは特に対立も無く、充分に国力があったイギリスは同盟には加わらなかった(栄光ある孤立)。一方、フランスは孤立化してしまう。
海外植民地として南西アフリカ(現ナミビア)、東アフリカ(現タンザニア、ルワンダ、ブルンジ)、カメルーン、トーゴ、南洋諸島、ニューギニア北東部および付近の島嶼(ビスマーク諸島)、サモア、中国の山東半島などを獲得した(ドイツ植民地帝国)。
1888年に即位したヴィルヘルム2世はビスマルクと対立、1890年にビスマルクを引退させる。親政を開始したヴィルヘルム2世は積極的に帝国主義政策を実行し、モロッコ事件を引き起こすなど列強間の対立をいたずらにあおった。
そのため、イギリス帝国との対立、ロシア帝国との対立、ロシア帝国のフランス接近、などの問題を生み、最終的にビスマルク体制が破綻したまま第一次世界大戦に突入することになる。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ヴィルヘルム2世の考えのもと、ドイツはオーストリアとの同盟を履行し、フランスに宣戦布告した。同時にシュリーフェン・プランの構想に基づいてベルギー・オランダに侵入した。しかし、これによりイギリスの対独参戦を招いた。その後、ヴィルヘルム2世の指導力は軍部に削られていく。
1918年、第一次世界大戦の敗戦とともにドイツ革命が起きて帝政は倒れ、ヴィルヘルム2世はオランダへ亡命し、後に「ヴァイマル共和国」と呼ばれる共和制へと移行した。
ドイツ皇帝一覧ヴェルサイユ宮殿、鏡の間にて戴冠するヴィルヘルム1世。