トンネルは世界各地に古くから人間の手によって造られてきた。トンネルの歴史は古く、灌漑用水路として古代に造られているが、交通路としての建設は紀元前2000年頃にユーフラテス川の河底を横断する歩行者用のトンネルがバビロンに造られたのが最初とされている。また、古代ローマ帝国や古代ギリシアには数多くのトンネルが造られ、現在に至るまで使用されているものも存在する。
機械動力の無い時代、トンネルの掘削はツルハシやノミなどの器具を用いた人力に頼るしかなかった。日本においては青の洞門(大分県中津市本耶馬溪町)や中山隧道(新潟県長岡市-魚沼市間)がその端的な例である。
近代になり鉄道技術が発達すると、ヨーロッパにおいて鉄道を通すためのトンネルが多く作られるようになり、著しくトンネルの掘削技術が向上した。イギリスでは、トーマス・テルフォードやロバート・スチーブンソンなどの優れた技術者が多く誕生した。
ダイナマイトが発明されると、これを用いた発破によってトンネル建設の効率は飛躍的に高まった。さらに、様々な建設機械・工法の出現によってトンネル技術は21世紀になっても進化を続けている。
日本最初の西洋式トンネルは、東海道本線の神戸市内にあった石屋川隧道である。1871年(明治4年)完成。天井川であった石屋川の下をくぐっていたが、同区間の高架化により消滅した。また、日本人技術者のみで最初に造られたトンネルは、東海道本線の大津市内にあった逢坂山隧道である。1880年(明治13年)完成。新線切り替えにより廃止され、名神高速道路建設などにより部分的に消滅したが、東側の坑口が現存する。
掘削した壁面に矢板(やいた)という木板(主に松が使用され「松矢板(まつやいた)」と呼ばれた)や鉄板(「鋼矢板(こうやいた)」と呼ばれる)をあてがい、支保工という支柱で支え、その内側をコンクリートなどで固める「巻き立て」によって仕上げる。日本では1980年代の東北新幹線・上越新幹線建設までこの方法が取られていた。しかしながら、事前調査の不足も重なり、特に蔵王トンネルでは工期が3年延びたほか、中山トンネルでは出水の連続から多数の迂回坑建設や300基を越える直上ボーリングの実施が必要となり、総工費が当初予定の3倍、8429億円にまで膨らみ、キロ当たりでは青函トンネルの4倍を越え、開業後の速度制限をももたらした[1]。今後の新幹線や高速道路にますます必要となる長大トンネルには技術的に不足があるのは明らかであった。これらが転機となって、その後は中山トンネルの一部で試行されたNATM が主流工法となり、それまでの経験工学からの転換という意味合いを含め、今までの工法として在来工法とも呼ばれる。
シールドマシンを用いた工法。
詳細はシールドトンネルを参照
例:アクアトンネル(東京湾アクアライン)
NATM とも言う。掘削した部分を素早く吹き付けコンクリートで固め、ロックボルトを岩盤奥深くにまで打ち込んで地山自体の保持力を利用する工法。
詳細は新オーストリアトンネル工法を参照
例:中山トンネル(上越新幹線)
オープンカット工法とも呼ばれる。地表面を掘り下げてトンネルの構造物を構築し、後で埋め戻す工法。地表面に近い部分や、駅のように大規模になる施設の構築に用いられる。初期(1960年代まで)に建設された地下鉄では主流の工法であったが、1970年代以降は地下鉄網の拡充からより深い位置にトンネルを建設せざるを得なくなり、駅部分を除いてはシールド工法が主体となっている。また開削工法にシールド工法を組み合わせた工法としてオープンシールド工法がある。
例:東京地下鉄南北線の後楽園駅
複数のケーソン(潜函)を水底に沈め、これを接続してトンネルとする工法。
詳細は沈埋トンネルを参照
例:多摩川トンネル(首都高速道路湾岸線)
場所による分類
山岳トンネル
山を貫通するように掘られたトンネル。トンネル中央部を高く、両端の出口を低くする逆 V 字型の勾配(拝み勾配)とすることで自然排水が可能である。但し立地条件などから片勾配となっているものも少なくないがこれでも自然排水は可能である。
都市トンネル
都市の建造物の中や地下を通るトンネル。首都高速道路のトンネルは殆どこれである。レースゲームのコース上にもある事が多い。傾斜は周囲の構造物などによって大きく異なる。
水底トンネル
川底や海底に掘られたトンネル。構造的に中央部が低くなるため、排水を機械的に行う必要がある。
用途による分類
道路トンネル
自動車用のトンネル。長大トンネルでは大規模な換気設備・防災設備が必要である。また、日本においては長さ5,000m以上並びに水底・水際の道路トンネルは危険防止のため危険物積載車通行禁止となっている。