[ヘルプ]
^ 新村出編『広辞苑(第6版)』岩波書店、2008年。広辞苑は、「ディベート」については、ほぼ正確な定義をしているが、「討論」を「debate」の訳語としながら「ディスカッション」を「討論」と同視するなど、一般の語法の混乱ぶりが反映している。この他、国語辞典や英和辞典の大多数が、「ディスカッション」を「討論」と同視している。
^ 松本茂『頭を鍛えるディベート入門』講談社〈講談社ブルーバックス〉、1996年。
^ 「詭弁」という言葉は、2つの異なる意味を持つ。論理学における詭弁(sophism)とは「誤った論理展開に基づく推論」をいうが、本文でいう詭弁は「道理に合わないことを正当化しようとする弁論」の意味であろう。
^ このような批判は教育ディベート関係者の活動と無縁なものではない。全国教室ディベート連盟において中心的な役割を担った西部直樹からして『一分間「相手をやり込める」技術』なる書籍を上梓している。
^ 茂木秀昭『ザ・ディベート:自己責任時代の思考・表現技術』筑摩書房、2001年。
^ ウィリアム・フランケナ著、杖下隆英訳『倫理学』培風館、1975年、146頁。フランケナは「ある倫理・価値の名辞の定義を採用すること、またそれに固執しつづけることを弁護するということは、それと相応ずる道徳的原則を正当化しようとすることに等しいと考えられる。原則の擁護のために定義に訴えることは正当化の問題の解決にはならない。」とする。
^ 後述するように、教育ディベート(狭義のディベート)や、競技ディベート(最狭義のディベート)を、単なるディベート(広義のディベート)と混同しているために起こる混乱であると見ることもできる。
^ 2007年4月29日から毎月1回放送。前身は「BSディベートアワー」(2003年4月20日?2005年1月30日放送)。「BSディベート」(2005年4月24日?2007年3月25日放送)。「スーパーサラリーマンの条件」といったテーマについてゲストが意見交換する。公的な主題についての議論だが、多くは明確な対立構造がなくディスカッションに近い。
^ 2005年10月14日放送。「昔の恋人の写真を捨てるか捨てないか」「鼻をかんだ後を見るか見ないか」といったテーマについて芸能人同士が議論する。意見対立が一応は前提されているが、ほぼ私的な主題のみを扱っており日常の低質な議論に近い。
^ 日本ディベート協会の定義( ⇒「ディベートとは」日本ディベート協会参照)や全日本ディベート連盟の定義( ⇒矢野善郎「CoDAの考えるディベート」全日本ディベート連盟参照)では、もっとも広い意味として、本文にいう広義のディベートに近いものを呈示しており、本文のような最広義のディベートを認めていないものと考えられる。もっとも、明治期の「討論」という言葉が現代において「議論」との違いを消失しつつある以上、80年代以降の「ディベート」という言葉が現代において「議論」との違いを失いつつあるのは至極自然なこととも言える。
^ 蟹池陽一監修、蟹池陽一ほか著『現代ディベート通論(増訂版)』全日本英語討論協会、1985年、1?6頁。
^ 日本では議論学国際学術会議(Tokyo Conference on Argumentation)が、国際的には国際アーギュメンテーション学会(InternationalSociety for the Study of Argumentation)がそれぞれ開催されている。
^ 川本信幹・藤森裕治編「教室ディベートハンドブック」『月刊国語教育別冊』東京法令出版、1993年、12?13頁。
^ 松本茂「ディベート教育の目的と方法論を再考する」『先端的言語理論の構築とその多角的な実証:ヒトの言語を組み立て演算する能力を語彙の意味概念から探る』神田外語大学大学院言語科学研究科、2001年、405?411頁。
^ 倉島保美 ⇒「ディベートを始めるには」 Debate Open Space 2008年2月9日閲覧。倉島は、教育ディベート関係者がディベートの効果を過大評価する傾向があるので注意が必要であるとする。
^ このような目的に応じた制約を教育ディベートそれ自体の定義に含もうとする傾向も散見されるが、このような定義が論点の先取りであることは既に述べた。
^ 赤塚公生、阿部正春「ディベート学習の現状と課題:アンケート調査と高等学校『現代社会』での実践から」『平成5年度研究紀要 Vol.23』福島県教育センター、107頁。福島県における調査結果として、勝敗を決定するケースがほぼ半数に過ぎないことを指摘している他、勝敗を決定しない事例について紹介されている。
^ 赤塚・阿部、前掲書。同調査では、生徒本来の賛否を尊重して議論させるケースが9割以上と圧倒的多数を占めている。
^ 和井田清司「戦後ディベートの源流:日本におけるディベート導入史に関する一考察」『武蔵大学人文学会雑誌第33巻第1号』武蔵大学、2001年。和井田は、戦前から戦後すぐの討論会では、このような形式も多かったことを指摘する。
^ ピーター・ミルワード『ディベートのすすめ』英友社、1983年、17?18頁。同書では、英国式のディベートを支持する立場から、「論敵をおどして降伏させようとしているかのように、声を張りあげて、矢継ぎ早に、自分たちの見解の裏付けとなる事実や論拠をまくしたてた」米国の学生に対し、英国学生が「ずっとくつろいだ態度で、問題の主題をしっかりと押さえて、ウイットに富んた議論を展開し」た様子を紹介している。
^ 岡山洋一「ディベートの歴史:十六世紀?明治時代?大正時代」『授業づくりネットワーク1994年7月号8月号』学事出版、1994年。
^ 田村究『討論の研究』徳峯社、1948年、79?81頁。 日本初のディベートは後述する「事実論題」によるものであったことになる。なお「プロパーチー」は資産(property)、「サラリー」は給与(salary)。
^ 和井田、前掲書。
^ 岡山、前掲書。