ディベート
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日本における競技ディベート

日本で行われている英語での競技ディベートは、米国で採られているスタイルに大きく依存している。競技ディベートのスタイルには前述の通り変遷が見られるものの、その時々の米国における支配的な考え方が、ほぼそのまま日本にも導入され大勢を占めてきたと言って良い。現在でも、英国式のパーラメンタリーディベートにしろ、米国式のポリシーディベートにしろ、日本で行われているものと米国で行われているものとの間に大きな相違はない。その意味では、英語での競技ディベートのスタイルは、安定的・継続的なものであったと言えよう。

これに対して、日本語での競技ディベートのスタイルは非常に流動的かつ散発的で、これまで雑多なものが生まれている。1940年代の朝日討論会のスタイルが「朝日式」、1950年代に当時の米国オレゴン大学から導入されたスタイルが「オレゴン式」などと呼ばれた[48]。また、1980年代以降は全関東学生雄弁連盟加盟の弁論部主催大会で独自のスタイルが成立、これに対抗して1990年代には慶應義塾大学開智会主催大会や、産経新聞主催のザ・ディベートアカデミーなどで独自のスタイルが試行された。

近年では、全国中学・高校ディベート選手権において、「メリット・デメリット比較方式」と呼ばれるスタイルが成立している。肯定側・否定側ともに、立論・質疑応答が各1回、反駁が2回、準備時間が立論・尋問後に1分、反駁後に2分。人数は4人制。NDTスタイルを基礎にしているが、様々な教育上の配慮から議論に強い制約が掛けられ単純化されている。このスタイルは、学校教育の現場に決定的な影響を与えるとともに、日本語ディベートサークルにも影響を与えた。


競技ディベートを描いた映画

青春!ケンモント大学 - Listen to me(1989) [49]

The Great Debaters(2007) ※日本未公開 [50]


脚注 / 出典

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^ 新村出編『広辞苑(第6版)』岩波書店、2008年。広辞苑は、「ディベート」については、ほぼ正確な定義をしているが、「討論」を「debate」の訳語としながら「ディスカッション」を「討論」と同視するなど、一般の語法の混乱ぶりが反映している。この他、国語辞典英和辞典の大多数が、「ディスカッション」を「討論」と同視している。
^ 松本茂『頭を鍛えるディベート入門』講談社〈講談社ブルーバックス〉、1996年。
^詭弁」という言葉は、2つの異なる意味を持つ。論理学における詭弁(sophism)とは「誤った論理展開に基づく推論」をいうが、本文でいう詭弁は「道理に合わないことを正当化しようとする弁論」の意味であろう。
^ このような批判は教育ディベート関係者の活動と無縁なものではない。全国教室ディベート連盟において中心的な役割を担った西部直樹からして『一分間「相手をやり込める」技術』なる書籍を上梓している。
^ 茂木秀昭『ザ・ディベート:自己責任時代の思考・表現技術』筑摩書房、2001年。
^ ウィリアム・フランケナ著、杖下隆英訳『倫理学』培風館、1975年、146頁。フランケナは「ある倫理・価値の名辞の定義を採用すること、またそれに固執しつづけることを弁護するということは、それと相応ずる道徳的原則を正当化しようとすることに等しいと考えられる。原則の擁護のために定義に訴えることは正当化の問題の解決にはならない。」とする。
^ 後述するように、教育ディベート(狭義のディベート)や、競技ディベート(最狭義のディベート)を、単なるディベート(広義のディベート)と混同しているために起こる混乱であると見ることもできる。
^ 2007年4月29日から毎月1回放送。前身は「BSディベートアワー」(2003年4月20日?2005年1月30日放送)。「BSディベート」(2005年4月24日?2007年3月25日放送)。「スーパーサラリーマンの条件」といったテーマについてゲストが意見交換する。公的な主題についての議論だが、多くは明確な対立構造がなくディスカッションに近い。
^ 2005年10月14日放送。「昔の恋人の写真を捨てるか捨てないか」「鼻をかんだ後を見るか見ないか」といったテーマについて芸能人同士が議論する。意見対立が一応は前提されているが、ほぼ的な主題のみを扱っており日常の低質な議論に近い。
^ 日本ディベート協会の定義( ⇒「ディベートとは」日本ディベート協会参照)や全日本ディベート連盟の定義( ⇒矢野善郎「CoDAの考えるディベート」全日本ディベート連盟参照)では、もっとも広い意味として、本文にいう広義のディベートに近いものを呈示しており、本文のような最広義のディベートを認めていないものと考えられる。もっとも、明治期の「討論」という言葉が現代において「議論」との違いを消失しつつある以上、80年代以降の「ディベート」という言葉が現代において「議論」との違いを失いつつあるのは至極自然なこととも言える。
^ 蟹池陽一監修、蟹池陽一ほか著『現代ディベート通論(増訂版)』全日本英語討論協会、1985年、1?6頁。
^ 日本では議論学国際学術会議(Tokyo Conference on Argumentation)が、国際的には国際アーギュメンテーション学会(InternationalSociety for the Study of Argumentation)がそれぞれ開催されている。
^ 川本信幹・藤森裕治編「教室ディベートハンドブック」『月刊国語教育別冊』東京法令出版、1993年、12?13頁。
^ 松本茂「ディベート教育の目的と方法論を再考する」『先端的言語理論の構築とその多角的な実証:ヒトの言語を組み立て演算する能力を語彙の意味概念から探る』神田外語大学大学院言語科学研究科、2001年、405?411頁。
^ 倉島保美 ⇒「ディベートを始めるには」 Debate Open Space 2008年2月9日閲覧。倉島は、教育ディベート関係者がディベートの効果を過大評価する傾向があるので注意が必要であるとする。
^ このような目的に応じた制約を教育ディベートそれ自体の定義に含もうとする傾向も散見されるが、このような定義が論点の先取りであることは既に述べた。
^ 赤塚公生、阿部正春「ディベート学習の現状と課題:アンケート調査と高等学校『現代社会』での実践から」『平成5年度研究紀要 Vol.23』福島県教育センター、107頁。福島県における調査結果として、勝敗を決定するケースがほぼ半数に過ぎないことを指摘している他、勝敗を決定しない事例について紹介されている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki