アメリカ大使館を襲撃した部隊は決死の覚悟で作戦に臨み、士気は非常に高かった。アメリカ大使、駐ベトナム軍総司令官は辛くも難を逃れ、大使館は一時、北ベトナム軍に占拠されてしまった。南ベトナム大統領官邸も北ベトナム軍に襲撃されたが、こちらは南ベトナム軍側が防衛に成功した。やがて米軍と南ベトナム軍の爆撃によって攻勢側の拠点は多くが奪還されていった。 北ベトナム軍総司令官のヴォー・グエン・ザップはテト攻勢には反対の立場であったが、他の北ベトナム軍幹部らや南ベトナム解放民族戦線に押し切られる形で、作戦を実行する事となった。南ベトナム解放民族戦線と北ベトナム軍は、都市の密集した人口が盾となりゲリラを守ると想定していたが、実際にはチョロン、フエ、ミト、カントーはじめ都市部の人口密集地域には米空軍とサイゴン政府空軍により猛爆が加えられ、民衆もろとも多大な犠牲を払うこととなった。
解放戦線と北ベトナム軍は占領した街で南ベトナム政府関係者を形だけの路上裁判で次々に処刑していったが、その中には何ら関係のない一般市民も含まれていた。フエでは予め処刑者の名簿が配られており、名簿に名前がある人物はほとんどが後頭部に銃弾を撃ち込まれて射殺された。この攻撃は結局、解放戦線が北ベトナム軍と同義の組織であることと、解放戦線への恐怖を南ベトナム国民に知らしめる役割を果たした。
一連の様子はメディアを通じて世界に報道された。アメリカ軍と南ベトナム軍は勝利したものの、ベトナム戦争の終結は間近であると知らされていたアメリカ国民にとって、一時的にせよアメリカ大使館が占拠される事態は、大きな衝撃となった。
特に、ベトコンから都市を奪回する為に行われたフエやチョロンその他デルタ地帯の都市部への空爆の実態などもあらためて米国民の知るところとなり、これによりアメリカ国内の反戦気運は非常に高まり、リンドン・ジョンソン大統領は大統領選挙への出馬を取り止めた。 また南ベトナムの警察庁長官グエン・ゴク・ロアン(阮玉灣)が報復のため路上で解放戦線の将校、グエン・ヴァン・レム(阮文歛)を射殺するシーンの映像は全世界に配信され、衝撃を与えた。
テト攻勢は、戦術的には北ベトナム側の惨敗と言えるが、戦略的にアメリカにベトナム戦争の勝利を諦めることを決断させた「勝利」といえる。当初は攻勢へ反対意思を示していたザップも、結果として戦略的な成功である事を認めざるを得なかったと言われる。アメリカは和平への道を探る結果となった。
関連項目
ベトナム戦争
フルメタル・ジャケット(テト攻勢下のフエでの市街戦が、映画版のクライマックスとなっている)
カテゴリ: ベトナム戦争の作戦と戦い | 1968年
更新日時:2008年7月25日(金)17:41
取得日時:2008/10/05 18:48