エドヴァルド・ベネシュは、1940年から1945年までロンドンを拠点とした亡命政府の大統領。1939年に独立を宣言したスロバキア共和国では、1945年までヨゼフ・ティソが大統領を務めた。
第一共和国
カレル・クラマーシュ(1918年-1919年)
ヴラスチミル・トゥサル(1919年-1920年)
ヤン・チェルニー(1920年-1921年)
エドヴァルド・ベネシュ(1921年-1922年)
アントニーン・シュヴェフラ(1922年-1926年)
ヤン・チェルニー(1926年-1926年)
アントニーン・シュヴェフラ(1926年-1929年)
フランチシェク・ウドルジャル(1929年-1932年)
ヤン・マリペトル(1932年-1935年)
ミラン・ホッジャ(1935年-1938年)
第二共和国
ヤン・シロヴィー(1938年-1938年)
ルドルフ・ベラン(1938年-1939年)
ロンドン亡命政府
ヤン・シュラーメク(1940年-1945年)
政党
農業党(Republikanska strana zem?d?lskeho a malorolnickeho lidu)
社会民主党(?eskoslovenska socialn? demokraticka strana d?lnicka)
国民民主党(?eskoslovenska narodni demokracie)
国民社会党(?eske strany narodn? socialni)
人民党(?eskoslovenska strana lidova)
共産党(Komunisticka strana ?eskoslovenska)
フリンカ・スロバキア人民党(Hlinkova slovenska ?udova strana)
ドイツ人国民党(N?mecka narodni strana)
農業者同盟(N?mecky svaz zem?d?lc?)
ドイツ人キリスト教社会党(N?mecka k?es?ansko socialni strana lidova)
ドイツ人国民社会主義労働者党(N?mecka narodn? socialisticka strana d?lnicka)
ドイツ人社会民主党(N?mecka socialn? demokraticka strana d?lnicka v ?SR)
ズデーテン・ドイツ人党(Sudetendeutsche Partei)
国境を接する国は、真北から時計回りにポーランド、ソ連(現在のウクライナ)、ハンガリー、オーストリア、西ドイツ、東ドイツであった。国土は大きく3つの地域に分かれる。西からボヘミア、モラビア、スロバキアである。
ボヘミア - ズデーテン山地、エルツ山脈、ボヘミア森に囲まれ、中央をラベ川(エルベ川)が流れる盆地。主要都市はプラハ。
モラビア - モラバ川による沖積平野。モラバ川はドナウ川の支流である。主要都市は、ブルノ。
スロバキア - カルパティア山部の南麓に相当する。最高峰ガルラホフカ山 (2663m) がそびえる。主要都市はブラティスラヴァ。
ケッペンの気候区分にいう西岸海洋性気候 (Cfb) が広がるが、東部は一部大陸性の亜寒帯湿潤気候 (Dfb) である。首都プラハの年平均気温は9度、年平均降水量は486mmであった。
チェコはかつてのオーストリア・ハンガリー帝国時代から工業化が進んでおり、1970年時点では共産主義政権下にある東ヨーロッパ諸国の中で最も進んだ工業国であった。農業地域が中心を占めるスロバキアを除くと、主な産業は工業である。金属、機械、自動車[1]、製鉄、繊維のほか、著名なガラス工業(ボヘミアングラス)が盛んであった。このほか兵器製造[2]、ビール[3]を中心とした食品工業、ガラス以外の窯業も確立していた。生産規模では鉄鋼が最大である。経済相互援助会議(COMECON)加盟国であり、ソビエト連邦を中心とした経済分業体制の中で重工業製品の市場を東欧圏で確保していた。しかし、性能やデザインなどで徐々に西側諸国からの立ち後れが隠せなくなり、政治的配慮を必要としない真の国際競争力は失われていった。また、東側諸国の中でも保守的な共産党体制は、徐々に悪化する経済状況への改革やハンガリーに比較して遅れた西側資本の導入へ効果的な対策を打てなかった。
鉱業では、燃料としてつかわれる褐炭が東ヨーロッパ諸国内の3位を占めるだけであり、エネルギー以外の工業原材料の6割を輸入に頼っていた。例えば石油はソビエト連邦からドルジバパイプラインを利用して輸入していた。これは石油輸出国機構(OPEC)加盟国などによる国際的基準よりかなり低い価格に設定されており、チェコ経済の重要な基幹となっていたが、同時に経済面でもソビエト連邦へ服属することも意味していた。
農業では、小麦を中心とした麦、サトウダイコン、ジャガイモ、トウモロコシを中心とし自給可能であった。