ダマスカスの辺縁にあるテル・ラマドの遺跡により、ダマスカスは紀元前8000年から10000年もの昔から人が定住していたことが分かる。ダマスカスが人間が連続的に定住した世界で最も古い都市であると言われるのは、この故である。しかし、アラム人(アラビア半島から来たセム語派系の遊牧民)の登場までは、ダマスカスは重要な都市として記されることは無かった。バラダ川の利便性を最大に広げた運河と隧道の建設によってダマスカスに水道システムを初めて構築したのはアラム人であることが知られている。後にこのネットワークはローマ人とウマイヤ朝によって改良され、今日のダマスカス旧市街の水道システムの基礎をなしている。紀元前1100年、この都市はアラム・ダマスカスと呼ばれる強力なアラム人国家の中心になる。アラム・ダマスカスの王はこの地域をアッシリア人とイスラエル人とのいくつもの戦争に巻き込んだ。そうした王の一人、ベン・ハダト2世は、カルカルの戦いにおいてシャルマネセル3世と戦った。アラム人の都市の遺構は壁に囲まれた旧市街の東部に埋まっている可能性が最も高い。紀元前732年にティグラト・ピレセル3世が都市を占領し破壊して後、数百年間独立を失い、紀元前572年に始まるネブカドネザル2世による新バビロニア王国の支配下に入る。バビロニア人の支配は、紀元前539年キュロス率いるペルシア帝国軍が都市を占領し、ペルシア支配下のシリア州の州都としたときに終わる。
ダマスカスは、近東を席巻したアレキサンダー大王の大遠征により西洋の支配下に入る。紀元前323年アレキサンダーの死後、ダマスカスはセレウコス朝とプトレマイオス朝の闘争の場となる。都市の支配権は両者の間を頻繁に行き来した。アレキサンダーの将軍の一人セレウコス1世ニカトールは、アンティオキアを彼の広大な帝国の首都にした。これにより、北方のラタキアのような新たに建設されたセレウコス朝の都市に比べると、ダマスカスの重要性は衰えることになった。
紀元前64年、ポンペイウス率いるローマがシリア西部を併合した。彼らはダマスカスを占領し、デカポリスとして知られる十都市連合に組み入れた。ギリシャ・ローマ文明の主要な中心地だと考えられたためであった。新約聖書によれば、聖パウロが幻視を体験したのはダマスカスへ向かう途中であったとされる。37年、ローマ皇帝カリグラは政令によりダマスカスをナバテア王国の支配下に置いた。ナバテアの王アレタス四世フィロパトリスは首都ペトラからダマスカスを支配した。しかし、106年頃、ナバテア王国はローマ人に征服され、ダマスカスはローマの支配下に戻る。
ダマスカスは2世紀の始めまでには一個の巨大都市になっており、222年、皇帝セプティミウス・セヴェルスによりコロニアに昇格する。パックス・ロマーナの到来とともに、ダマスカスとローマ領シリアは全体的に繁栄する。南アラビア、パルミラ、ペトラからの貿易路、および中国に始まる絹の貿易路がすべてダマスカスに収斂することから、キャラバン都市としてのダマスカスの重要性は顕著だった。ダマスカスは東方に産する贅沢品へのローマ人たちの需要を満たした。
ローマ建築の遺構はほとんど残っていないが、旧市街の都市計画は長く続く効果を持っていた。ローマ人の建築家は、ギリシアとアラムの都市基盤を組み合わせ、城壁に囲まれた、長さおよそ1500×750メートルの新しいレイアウトに融合させた。城壁には七つの門があったが、東門(バーブ・シャルキー)はローマ時代から残り続けている。ローマ時代のダマスカスはほとんどが現在の都市の5メートル以内の地下に埋まっている。
ムスリムの征服からファーティマ朝までウマイヤド・モスク 現在でも利用されているモスクとしては最も古いものの一つであり、規模も最大級である
636年、ダマスカスは第2代正統カリフ・ウマル・イブン=ハッターブ(ウマル一世)に征服される。その直後、661年から750年まで続くアンダルス(現在のスペイン)からインドまで広がるウマイヤ朝の首都となったときに、この都市の力と威光は頂点に達する。705年にキリスト教会をモスクに改造したウマイヤド・モスクは今でもダマスカスに残っている。744年、最後のウマイヤ朝カリフ、マルワーン2世は首都をジャズィーラ(メソポタミア北部)にあるハッラーンに移し、以後ダマスカスはかつての再び政治的重要性を取り戻すことは無かった。
750年、ウマイヤ朝が倒れ、アッバース朝が興ると、ダマスカスはバグダードから支配される。858年、アル=ムタワッキルは首都をサマラから移転する意図の下に短い間ダマスカスに居を構えたが、彼はすぐにこの考えを放棄した。アッバース朝が傾くに連れ、ダマスカスは不安定が広がり、地方政権の支配下に入る。875年、エジプトの支配者アフマド・イブン・トゥールーンがこの都市を手に入れ、アッバース朝の支配は905年になるまで回復しない。945年、ハムダーン朝がダマスカスを手に入れ、その後しばらくしてイフシード朝の開祖ムハンマド・イブン=トゥグジュの手に渡る。968年そして971年にダマスカスは短い間カルマト派に占領される。
970年、カイロにいたファーティマ朝のカリフがダマスカスの支配を取り戻す。