1843年から1845年にかけて作曲され、1845年10月19日にドレスデンにある宮廷歌劇場で初演された(「ドレスデン版」)。そのときの指揮者はワーグナー本人である。
「パリ版」による初演は、1861年3月13日パリ・オペラ座。
日本初演は1947年7月12日、藤原義江(タンホイザー)、三宅春恵(エリーザベト)ほかの出演、マンフレート・グルリットの指揮による。この興行は全公演とも入場率100%を記録し、現在に至るまでの日本のオペラ公演でこれに及んだ入場率はない。
主な登場人物
タンホイザー(テノール) ヴァルトブルクの騎士。劇中ではハインリッヒと呼ばれている。エリーザベトと愛し合っていた。
エリーザベト(ソプラノ) ヘルマンの姪。
ヴェーヌス(メゾソプラノ) いわゆるビーナス。ヴェーヌスベルクに住む快楽の女神。
ヴォルフラム(バリトン) ヴァルトブルクの騎士。タンホイザーの友人。エリーザベトに淡い恋心を抱いている。
ヘルマン(バス) ヴァルトブルクの領主。
「パリ版」や最終稿の「ウィーン版」で約3時間10分(第1幕70分、第2幕70分、第3幕50分)。「ドレスデン版」はバレエが無いため第一幕が約5分短い。
注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。
あらすじジョン・コリアによるタンホイザー
中世のドイツでは、吟遊詩人としてうたう習慣が騎士たちの中でもあった。 騎士の1人であるタンホイザーは、ヴァルトブルクの領主の親族にあたるエリーザベトと清き愛で結ばれていたが、ふとしたことから官能の愛を望むようになり、愛欲の女神ヴェーヌスがすんでいるという異界ヴェーヌスベルクに赴き、そこで肉欲の世界に溺れていた。なおここに登場する地名であるがヴェーヌスベルクはボンの南の郊外の高台、ヴァルトブルクはバッハの生誕地のアイゼナハの南部の村の山にそういう地名がある。
ヴェーヌスベルクで快楽の日々を送っていたタンホイザーだったが、ある時夢の中で故郷を思い出し、ヴェーヌスベルクから離れようと決心する。ヴェーヌスは彼を引き止めようと誘惑するが、タンホイザーは強い意志によってそれを退け、ヴェーヌスベルクを消滅させる。
異界から脱出したタンホイザーはヴァルトブルク近くの谷に放り出される。そこに領主のヘルマンや親友のヴォルフラムらが通りかかる。ヴォルフラムもまたヴァルトブルクの騎士である。 領主やヴォルフラムは出奔していたタンホイザーが帰ってきたことを喜び、再びヴァルトブルクの騎士に戻るよう勧めるが、官能の世界に溺れた罪の重さを思ったタンホイザーはそれを拒否する。しかしヴォルフラムはエリーザベトが彼の帰りをずっと待っていると説得し、タンホイザーはヴァルトブルクに帰ることを受け入れる。
ヴォルフラムらと共にヴァルトブルク城へと戻ったタンホイザーは、エリーザベトと再会を果たし、お互いに喜び合う。
その日はちょうど歌合戦が開かれる日で、課題は「愛の本質について」。 ヴォルフラムや他の騎士達が女性に対する奉仕的な愛を歌うのに対し、タンホイザーは自由な愛を主張して観衆の反感を買い、ついにはヴェーヌスを讃える歌を歌いだす。 激怒した騎士たちはタンホイザーを諌め、エリーザベトは領主に彼の罪を悔い改めさせるように願う。 我に返ったタンホイザーは自分のしたことを悔やむが、時すでに遅い。 領主はタンホイザーに追放を言い渡し、ローマに巡礼に行き教皇の赦しが得られれば戻ってきてよいと言う。 タンホイザーはローマ巡礼に加わりヴァルトブルクを去っていく。
タンホイザーがローマに旅立ってから月日がたつが、彼は戻ってこない。 エリーザベトは、タンホイザーが赦しを得て戻ってくるようにと毎日マリア像に祈り続けている。 ちょうどローマから巡礼の団体が戻ってくる。エリーザベトはその中にタンホイザーの姿を探すが、彼はいない。 ついにエリーザベトは自らの死をもってタンホイザーの赦しを得ようと決意する。 見かねたヴォルフラムはエリーザベトを説得するが失敗し、彼女は去っていく。
その場に一人残されたヴォルフラムの前に、ぼろぼろの風体のタンホイザーが現れる。ローマに行ったのかと聞くヴォルフラムに対し、彼はローマ巡礼の顛末を語りだす。 タンホイザーは幾多の苦難を乗り越えてようやくローマに到着したものの、教皇は彼の罪を赦さなかったのだという。 自暴自棄になったタンホイザーは、再びヴェーヌスベルクに戻ろうとしてさまよい、そうしてヴォルフラムに出会ったのだった。タンホイザーの呼びかけに応じてヴェーヌスベルクが現れ、ヴェーヌスが彼に手招きする。ヴェーヌスに引き寄せられていくタンホイザーをヴォルフラムは懸命に引きとめる。そこへエリーザベトの葬列が現れる。タンホイザーは我に帰り、異界は消滅する。 エリーザベトが自分の命と引き換えにタンホイザーの赦しを神に乞うたことをヴォルフラムが話すと、タンホイザーはエリーザベトに寄り添う形で息を引き取る。ちょうどそこへローマから教皇の特赦を知らせる行列が到着し、幕が下りる。
1845年のドレスデン初演では、第3幕の終幕部分でヴェーヌスは現れず、エリーザベトの死も暗示にとどまっていため、結末が聴衆にとって理解しづらいと不評を買った。ワーグナーもその点を自覚しており、上演後早速改訂に取りかかった。1847年にヴェーヌスとエリーザベトの亡骸を登場させ、タンホイザーの救済を強調する形に書き直した。この第2稿が今日「ドレスデン版」として上演されるものである。 演奏会などで取り上げられる『歌劇「タンホイザー」序曲』は、一般的にはこのドレスデン版の序曲のことを指す。
1859年にパリを再訪した際、ワーグナーにナポレオン3世から『タンホイザー』上演の勅命が降りた。ワーグナーは、台本をフランス語に訳すだけでなく、音楽にも改訂を施した。主な改訂内容は、第1幕冒頭のヴェーヌスベルクの部分を改訂して「バッカナール」と称するバレエ音楽をつけ加えたことである。これは当時パリで流行していたグランド・オペラの慣行にならい、バレエの挿入を劇場側が上演条件として課してきたためである。ワーグナーも念願のパリでの成功の為にこれを受け入れたが、妥協し切れず、通例の第2幕ではなく第1幕にバレエを挿入した。このことは踊り子目当てに第2幕からやってくる貴族達には受け入れられず、当時の政治対立も絡んで妨害工作にまで発展、上演3日で打ち切られる事態にまで発展した。しかしこの大失敗、スキャンダルが逆にワーグナーへの注目を集め、これを機にフランスの音楽界や文壇にも圧倒的な影響を及ぼすことになる。この際に使用された版が狭義の意味での「パリ版」であるが、まだ序曲はオペラ本体から分離された形で、これは今日ではほとんど演奏されない。
改訂によって『トリスタンとイゾルデ』以降の、より色彩的かつ迫真的なものに変貌を遂げた音楽が盛り込まれたが、このことは『タンホイザー』作曲当時の音楽との様式上の不統一を生じることにもなった。ワーグナーはその後も作品に手を加え続け、1867年にはミュンヘンで台本をドイツ語に再訳して上演した。
さらに1875年のウィーン上演に際しては、序曲から切れ目なしに第1幕のバッカナールへ移行する形(序曲の289小節からバッカナールに入る)をとるようにした。